三余亭

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zoom RSS 【私はどうして私なのか  大庭健著  講談社現代新書】

<<   作成日時 : 2005/06/04 22:39   >>

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読んだ一番最初の感想は、仮想敵は同じ講談社現代新書の【子どものための哲学 永井均著  講談社現代新書】だな、というものでした。永井氏の本は、独我論の主張がされているように思いましたが、大庭氏のこの本はそれに対する反論のようです。

前書きによると、自分がいる、というのはどういうことなのか、「私」という一人称代名詞の使われ方を分析して解明する本だそうです。哲学の本ですね。文章は少し堅めですが、一つ一つの論理展開が難しいかというとそんなことは無い。でも、何度か読まないと何か引っかかる感じがある、私にとってはそんな本でした。

「内なる自己」「自分が・・・・(人の名前が入ります)であることは特別な事実だ」「心理的に身体的にその他あらゆる点において、あなたにも私にもまったく何の変化が無いにもかかわらず、あなたと私の自己が入れ替わることが可能だ、といった浮ついた感じ(p.139)」が問題にされます。そんなのは「私」という語の指示対象と意義を間違えているから起きるのだ、というのが結論です。永井さんの本を読まれた後に読まれると、議論されていることの内容や、なぜ議論されているのかということが良くわかるのではないでしょうか。大庭氏のこの本では、人間として生きているからには自分のことには責任を持たなくてはならず、今の自分は本当の自分じゃないんだみたいな態度はとれないことを主張されていると理解しました。

第1章から第4章までは、自分が成立する条件が検討されます。自分の成立には自己意識があることが根幹であり、自己意識の成立のためには他人の存在が必要であること、他人や死といった経験できないものについて考えられるようになるには言語の習得が必要であることが述べられます。まとめると、自分が成立しているということは、1.世界の事物が自分に現れているように、自分もまた、他人に現れている事物の一つだ、と理解でき、2.自分がどう存在しているかを、他人に理解しうる考えのかたちで、自ら考えられるようになり、3.その考えを「私」という一人称の語を用いた文であらわすことができるようになる(p.75)、という情報システムが実現されなければならないことが述べられます。

第5章では、次の章以降での分析のために、語の指示対象と意義の違いについて説明されます。宵の明星と明けの明星は、指示対象は金星で一緒ですが意義は違います。意義とは指示対象の与えられ方だそうです。

第6章から第8章では、「私」、「内なる自己」、「自分が・・・・(人の名前が入ります)であることは特別な事実だ」といったことが検討されます。第6章では「私」という語の意義について問題提起がなされます。これに対する著者の解答は最終章で出てきます。

第9章で、「内なる自己」や「浮ついた感じ」の原因があっさりと出てきます。「私」という語の意義の違いを指示対象の違いと間違えているせいでこのようなことが起きると述べられます。

第10章と最終章では、「内なる自己」は実体が無いこと、しかし「私」は単なるフィクションではなく様々な思いがまとまるためや行為の理由を考えるために必要であること、自分がいるということは他人からの問いかけ・呼びかけに応じる・応じうるという呼応可能性があること、「私」が指しているのは呼応可能性の責任の主体としての私であると述べられます。最終章で「私」という語の意義が述べられています。固有名や記述句を用いて、ある人物が三人称で描かれたとき、「それは私のことだ!」と、一人称の文に対応づけうること、だそうです。これが出来ない人は「私」という言葉を使えない(それはそうだ)というわけです。

正確に物事を考えるお手本になる本だと思います。永井均氏の著作よりも、理解しやすいし、すくなくとも論理は追いやすいと思います。

ただ、「内なる自己」が自己意識のクオリアというものが問題だとしたら、問題はクオリア一般の問題の特殊例という脈絡で捉えられなければならないような気もするわけで、それはそれでまた別の話になるような気もします。

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【善と悪 倫理学への招待 大庭健著 岩波新書】
【初めての分析哲学】【私はどうして私なのか】の著者による新書。カバーには、「道徳的にみて「善い」「悪い」という判断には、客観的な根拠はあるのか。(中略)ソクラテス以来の大問題を、最新の分析哲学の手法を用いて根底から論じ、倫理学の基本を解き明かす。」と書かれています。こんな風に書かれると、大上段に構えた本だという難しい印象を与えてしまいますが、専門用語がごちゃごちゃ並んでいるわけではありませんので、簡単にとは言いませんが、理屈が好きな方はそんなには苦労せずに読めるのではないかと思います。 ... ...続きを見る
三余亭
2007/01/15 18:19

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