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zoom RSS 【ロボットの心 7つの哲学物語 柴田正良著  講談社現代新書】

<<   作成日時 : 2005/06/16 00:58   >>

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ロボットに心が持てるかということを哲学的に検討した新書です。

プロローグで鉄腕アトムやドラえもんには心が無いのかと問うことによって、ロボットに心を持たせることができるかどうかという問題が簡単ではないことが示されます。確かにテレビや漫画で見るドラえもんは泣いたり笑ったりして心が無いとは思えません。でも、人間がテレビや冷蔵庫と同じように作ったロボットが自分たち人間と同じ心を持つというのも簡単には納得できない、と思います。著者はロボットも心を持つことができるということをわかりやすい言葉で論証していきます。

まず、ロボットが人間と同じように行動したときに心があるかどうか“外側から”では確かめようがない(p.42)からロボットには心は認めないという主張が取り上げられます。この主張は、「他人が何かを経験したときに“内側から”(p.42)確かめていないではないか」と反論されて却下されてしまいます。他人とロボットで外側から観察できる状況が一緒ならば、判断も公平に一緒にしないといけないというわけです。それはそうですね。他人の内面的体験(痛み、笑い、嘆き等)は容易に認められるのに、人間とまるっきり同じような外見のロボットが同じようなことをしたときに内面的体験を認めないというのは統一性が無いです。

外側から観察ということに関連して、機械が考えているかどうか判断するためのチューリング・テストが紹介されます。このチューリング・テストの検討を通じて、“機械が用いている言葉と世界の結合の仕方(意味論)を確定する”(p.69)ために“われわれと機械と世界が必要”(p.69)であることが述べられます。この“機械と世界”が重要なようで、“思考にはつまり身体がいる!”(p.71)と述べられた後に、“思考に身体が必要なのは、身体を通して環境世界の中にロボットが住み込むためである。そして環境世界の中に住み込むことによって、ロボットは周囲の世界から意味を引き出してくる。”(p.102)と別の章でも述べられています。

このあとは、フレーム問題、コネクショニズムなどが解説された後、感情の問題が第6章で取り上げられます。ロボットは考えることができるかということよりも、ロボットは感情が持てるかということの方が問題のような気がしますし、それは直感的には無理のように思います。でも、ロボットは感情を持てるというのが著者の主張です。

心を扱うには感情が必要だということが述べられています。具体的には、“心の状態から感情を取り除いたら何が残るか、われわれはうまく想像できないのではないか(p.186)”。同感です。感情機能がなければまともな人工知能などできない(p.186)、つまり心を持つからには感情を持たなくてはいけないというわけです。

感情の機能とは何でしょうか。それについてはオートリーとジョンソン=レアードらの説を解説しており、意思決定にかかわる機能(p.185)で、目標(行動プラン)どうしが互いに競合せざるを得ないような場合に(p.190)働くということだそうです。基本的な感情モードとしては、喜び、悲しみ、不安、怒り、嫌悪の5つが少なくともあるとのことです。5つにそれぞれ機能がありますが、例えば怒りは実行中のプランが妨害されている場合に、もっと頑張れ・あるいは攻撃しろと路線転換させる機能があるそうです。感情を消失してしまった人間が何事も決定できなくなった例が示され、意思決定にかかわる機能を感情が持っていることが示唆されます。

感情に関わり、クオリアという言葉が解説されます。感じがどのように感覚されるかという点で問題になるとき(p.97)にクオリアと呼ぶそうです。感情にとってクオリアは本質的である(p.206)ことが、長く論証されます。直感的には悲しいときの悲しみの感じ(悲しみのクオリア)は悲しさにとって本質的だと思いますが、いろいろ反論もありそれについて検討されています。

そんなこんなで、ロボットに意識や感情やクオリアをもたせることができるか検討されていきます。意識・感情・クオリアが果たす機能が解明され、それを工学的素材により実現し、そのような機能を持つロボットができたなら、そのロボットは意識・感情・クオリアを持っている、なぜなら意識・感情・クオリアは認知的な機能で、その機能をロボットに与えたということは意識・感情・クオリアをロボットに生じさせたことだ(p.211-212)、心があるようにしか見えないロボットを作ることは心があるロボットを作ることなのだ(p.216)と主張されます。機能が同じなら、人間でもロボットでも同じ意識・感情・クオリアを持つという主張です。最初のほうの、外側から観察できる状況が同じなら、人間でもロボットでも判断は一緒と言う主張と共通しています。

最終章で、ロボットに倫理的問題を解決させることの問題を通じて、善悪のクオリアが通常の感情のクオリアとは異なる面があること、善悪のクオリアと道徳的判断内容の結びつきが主観的であることが述べられていきます。最後にロボットが自分が自由な行為主体であると思うようにすることの必要がほのめかされます。

ロボットの心が直接の話題ですが、最終章を読み終わると人間自身の善悪や自由といった問題にも展開していきそうです。ロボットを考えることは人間を考えること、といえるのではないでしょうか。この前のブログで問題になった「内なる自己」も絡まってきそうです。

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