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zoom RSS 【歴史とは何か  E.H.カー著  清水幾太郎訳  岩波新書】

<<   作成日時 : 2005/07/26 12:43   >>

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歴史は学生時代から嫌いです。〇〇制度がどんなものかとか、その成立の理由とか、それぞれの制度についてテストで正解するために個別に脈略無く暗記するというのが嫌いでした(反面、算数・数学・物理などは少数のことを覚えておく、いざとなったら公式を導出するということができたので好きでした。)。歴史小説も苦手です。主人公と自分を重ね合わせて歴史的事件から教訓を得るために歴史小説を読むということを薦める人がいますが、たいていは精神論にしかならないと思い、そんな読書も嫌いです。

そんな私も、大人になったのか、テストで暗記する必要がなくなったのか、食わず嫌いでは良くないだろうと思うようになりました。といっても特定の時代について書かれたものはとっつきにくく、歴史というもの一般的に解説された本を読んでおこうと思い、この本を選んでみました。

この本は、1961年1月から3月にかけてのケンブリッジ大学での講演をその年の秋に出版したものの全訳だそうです。1962年3月20日第1刷が発行されています。講演の翌年に日本で全訳が出版されていることになります。翻訳されるのが早いですね。読んだのは1997年第60刷、版は変わっていません。古いままです。

書かれているテーマはいくつかあると思います。“歴史とは何か”、“歴史での事実とは何か”、“歴史での原因とは何か”、“歴史家と道徳”など。

“歴史とは何か”ということですが、「歴史とは歴史家と事実との間の相互作用の不断の過程であり、現在と過去との間の尽きることを知らぬ対話なのであります。(第1章p40)」ということですが、抽象的ですね。もっと具体的な言葉を探してみました。

「歴史とは、ある時代が他の時代のうちで注目に値すると考えたものの記録(第2章p78)」、「歴史というのは(中略)ある集団の成功として、他の集団の敗北として生み出されるのです。(第3章p114)」、「歴史は人々が行ったことの記録であって、行い損ねたことの記録ではありません。その限りでは、歴史は否応なしに成功の物語になるのです。(第5章p187)」

つまり、著者にとって歴史とは現在の社会から見た過去の成功例の研究ということになるのでしょう。そういわれてみれば、新撰組など敗れた人間たちは悲劇として、文学や芸術・芸能ではよく見かけますが、歴史の授業においてはそれほど重要視されていなかったような気がします。著者の言うとおりなのかなという気もします。

成功例の研究といっても、条件があります。「歴史家は過去の経験から、それも、彼の手の届くかぎりの過去の経験から、合理的な説明や手に負えると認めた部分を取り出し、そこから行為の指針として役立つような結論を導き出すのです。(第4章p152)」と書かれていますので、行為の指針(それも成功するための)を作り出すことが歴史にとって重要なようです。「歴史における判断の規準は、「普遍的妥当性を要求するような原理」ではなく、「最も役に立つもの」ということになります。(第5章p190)」とも書いてます。著者にとって歴史とは、成功例に学び未来においても成功するための研究なのですね。

“歴史での事実とは何か”ということですが、「事実というのは、歴史家が事実に呼びかけたときだけ語るものである(第1章p8)」「歴史上の事実は純粋な形式で存在するものでなく、(中略)いつも記録者の心を通して屈折して来るものだ。(第1章p27)」、さらに思い切って「歴史家は、自分の好む事実を手に入れようとするものです。歴史とは解釈のことです。(第1章p29)」とまで書いています。全く勝手に歴史を書いてもいいような気がしてきましたが、「見る角度が違うと山の形が違って見えるからといって、もともと、山は客観的に形の無いものであるとか、無限の形があるものであるとかいうことにはなりません。(第1章p34)」し、「自分が研究しているテーマや企てている解釈に何らかの意味で関係のある一切の事実―知られているものであろうと、知られ得るものであろうと―を描き出す努力をせねばならない。(第1章p36)」ため、ある事件がおきたかどうかについてはある程度の一致があるはずです。

どうしてそんな風に歴史での事実が普通に考える事実と異なってくるかということは、「歴史家の行うすべての観察の中へ、どうしても、歴史家の見方というものが入り込んで来ます。(第3章p101)」し、「観察の手続きが、観察されているものに影響を与え、変化を与える(第3章p101)。」ためです。それゆえ、「歴史家は、歴史を書き始める前に歴史の産物なのです。(第2章p55)」。難しい学問ですね。ですから、「「歴史を研究する前に、歴史家を研究して下さい。」「歴史家を研究する前に、歴史家の歴史的及び社会的環境を研究して下さい。」(第2章p61)」と、歴史家の状況も把握しなくてはいけなくなるのです。

ですから歴史での客観性という言葉は、普通の客観性とは違う意味があり「歴史における客観性―まだこの便宜的な言葉を使うとしますと―というのは、事実の客観性ではなく、単に関係の客観性、つまり、事実と解釈との間の、過去と現在と未来との間の関係の客観性なのです。(第5章p178)」ということです。そして客観的な歴史家とは、「第一に、その歴史家が、社会と歴史とのうちに置かれた自分自身の状況からくる狭い見方を乗り越える能力(中略)を持っているということを意味します。第二に、その歴史家が、自分の見方を未来に投げ入れてみて、そこから過去に対して(中略)深さも永続性も優っている洞察を獲得するという能力を意味します。(第5章p183)」ということで、社会状況的・時間的に離れた位置でも有効性のある見方ができる歴史家ということになります。

客観性が個人の資質だけによるものではないこと、比較的客観的になれる状況というのが説明されています。「(ビスマルクについて客観的な判断を下すとなると)1920年代の歴史家の方が1880年代の歴史家よりも客観的判断に近いということ、今日の歴史家の方が1920年代の歴史家よりも近いということ、紀元2000年の歴史家の方がもっと近いであろうということです。(第5章p193)」という言葉や、「現代史というものが面倒なのは、すべての選択がまだ可能であった時期を人々が覚えているためであり、これらの選択が既成事実によって不可能になっていると見る歴史家の態度を受け容れ難いと感じているためであります。これは純粋に感情的で非歴史的な反応であります。(第4章p143)」ということから、事件や事態にあまりにも関わりすぎている状態では歴史的に客観性を持つことができないことがわかります。感情的に平静を保てなくては歴史を書くことは無理なのですね。

その他、歴史の原因とは、個人的な動機とは無関係であってもよく、他の時代・条件にも適用されるような一般的で教訓が得られるものであること、や、歴史家は裁判官ではないので、歴史上の人物の私生活について道徳的判断はできないこと、など書かれています。

歴史は成功例の研究と割り切って歴史の勉強をすれば、学生時代をもう少し楽しく過ごせたかどうか、よくわかりません。その時と今では状況が違うから学んでも意味はあまり無いと考えて、学ぶ意欲はテストのために暗記するのと比べてあまり変わらないような気もします。成功例の研究という捉え方は第1次・2次世界大戦の戦勝国であるイギリスで外交官の経験のある著者だからなのでしょう。そういう意味では、敗戦国の歴史家が歴史について書いたものを読んで、歴史観について考え直す必要があるかもしれないですね。でも、「歴史的事件の絶頂でなく、その谷底を進んでいく集団や国民にあっては、歴史におけるチャンスや偶然を強調する理論が優勢になるものです。試験の成績なんか宝くじのようなものさ、という見解は、いつも劣等生諸君の間で人気を博するものであります。(第4章p147-p148) 」なんて書かれると、読みにくいです。

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せいすいいえいこさんのコメントに
今まで忙しくって、何もレスポンスがなくてすいません。 せいすいえいこさんから、「歴史とは何か」にコメントをいただきまして、また、 【「科学的」ってなんだ! 松井孝典・南伸坊著 ちくまプリマー新書】にもまたコメントをいただきまして、ありがとうございます。 ...続きを見る
三余亭
2007/12/08 01:16
【哲学塾 歴史を哲学する 野家啓一著 岩波書店】
以前に、せいすいえいこさんからコメントをいただき、いろいろと考えさせられることがありました。 せいすいえいこさんからコメントをいただいた記事など、以下をご参照ください。 http://cuttlefish.at.webry.info/200507/article_3.html http://cuttlefish.at.webry.info/200712/article_2.html http://cuttlefish.at.webry.info/200712/article_3.h... ...続きを見る
三余亭
2008/06/12 01:09
『歴史とは何か』 E.H.カー著、清水幾太郎訳 岩波書店 1962
距離の単位系を説明する時にEminemの&#8220;8 mile&#8221;を例に出して解説することが多い、 まろまろ@メートル換算すると実はかなりの距離(12.87km)と分かった時の元も子もない反応が痛くて気... ...続きを見る
まろまろ記
2008/07/01 18:37

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突然失礼いたします。

ネット辞書ウィキペディア「史料批判」の項目を大幅修正しました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B2%E6%96%99%E6%89%B9%E5%88%A4

一度チェックしてみていただけないでしょうか。
史料批判
2007/12/02 18:07

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