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zoom RSS 患者は何でも知っている EBM時代の医師と患者 J.A. ミュア・グレイ著 斉尾武郎監訳 中山書店

<<   作成日時 : 2006/03/08 17:22   >>

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Evidence based medicine、略してEBM(日本語訳は(科学的)根拠に基づく医療)というものが提唱されて10年以上になります。医療行為の根拠をきちんと求めて行う医療と考えていただければいいと思います。手順など、詳しくは日本大学医学部公衆衛生学講座のサイトでどうぞ。他にもGoogleで探せば色々見つかります。EBMを実際に臨床の場で活用されている白浜先生の論文がこちらで読めます。臨床倫理とEBMについて書かれた論文で、これを読んでいただければ、医学的適応と医療上の判断は異なり、患者の個人特性や価値判断も考えて医療上の判断がされることがわかると思います。医学と医療を分けて考える必要があることも理解していただけると思います。

このEBMが普及した理由としては、web上での各種データベースの充実により論文検索が容易になってきたこと、インターネットの普及により世界中どこでも検索サービスを利用できるようになったこと、があげられると思います。

さて、医師が利用しているデータベースですが、利用者は医師限定というわけではありません。PubMedは、代表的な医学論文検索サービスですが、検索は医師ではなくとも可能です。検索で見つかる論文のほとんどは抄録が読めますので、英語が苦にならなければその論文のエッセンスを知ることは医師でなくても可能です。ためしにPubMedのサイトを訪れて、Brain tumor(脳腫瘍)でもLung cancer(肺癌)でも検索してみてください。何千もの論文が見つかると思います。

無料でweb上で読める医学論文も多数あります。ある程度の年数が経ってから無料公開というものが多いようですが、制約無しのものもあります。そんなのを集めたのがHighWire Pressです。また、アメリカのNational Cancer Instituteでも癌についての情報提供がされています。

日本語で情報が欲しいという方には、がんなら国立がんセンター、心臓病なら国立循環器病センターのサイトがあります。一般向けですので、医師と同じレベルとは行きませんが、病気についての知識は得ることが出来ます。

こんな風に、医師ではなくても医学情報をある程度入手できる環境となった現代では、患者と医師は、患者の罹患した疾患については対等の知識を得ることが可能であると主張し、そんな時代の患者と医師の心構えを説いた本として、【患者は何でも知っている EBM時代の医師と患者 J.A. ミュア・グレイ著 斉尾武郎監訳 中山書店】があります。この本では、インターネットの発達により患者が医療情報を手に入れやすくなっていること、それを利用して医療上の意思決定に参加する患者が増えること、そのような状況での医療のあり方・医師のあり方について書かれています。

序文では、「現在は、医師がケアの責任者であり、患者には責任能力がなくケアを必要とする存在とされている。本書の主張は、こうした考え方は誤りで、それが医療専門職に対して不要な圧力を加えるものとなっているというものである。(p E)」と述べられています。医師が責任者ではないとするなら、誰が責任者になるのか。患者であるというのが本書の主張です。ただし、そのためには患者も知識をきちんと入手しなくてはいけませんし、医療関係者は知識を入手させなくてはいけません。

ちょっと横道にそれますが、患者が責任者になるというのは、自己決定権の意識が広まったことが一番の原因だと思います。しかし、その背景には「この10年間というもの、医師と患者はより深い敵対関係に陥るようになった。この理由の一部として、患者が変化してきていること、消費者主義の時代に育った近代科学に懐疑的な新しい患者の集団が従属的な関係に後戻りしたくないと思っているということ(p189)」に加えて、ブリストル王立病院での心臓外科手術の死亡率が異常に高かった事件 (こちらで情報があるようです。)の影響もあると私は思います。この事件についてのレポートでは「公開性と誠実さの文化の必要性が謳われており、特に患者が意思決定に参加することが必要であると勧告している。(p192)」そうです。

さて、まず第一章では医師の権威が以前よりも無くなっていることが述べられています。権威として、知的、道徳的、官僚的、カリスマ的権威に分けて検討していますが、どの権威も以前よりも失われているというのです。

知的権威が無くなった理由は、「(医学知識の量が増え続けてきているため)一部の「スーパー・スペシャリスト」を除けば、知るべき情報をすべて入手し、常に知識を最新に保つことは、普通の医師にとっては不可能なことだ。(p11)」からだそうです。医学知識が増えたために、医学の発展にもかかわらず医師の権威が落ちるという逆説的な状況です。実感としても、広い領域の知識を最新のものにしておくのは事実上不可能です。また、「多くの患者は医師よりも高度な教育を受けている。患者が自ら学び始めたときに、たとえ医師が特に専門性の高い秘儀的な知識を持っていたとしても、学習の行程で患者が難なく医師の知識を凌駕することもありえる。(p11)」と、インターネットの発達により医療情報を簡単に入手できるようになったことで患者自身が学習できる環境となったことの影響も指摘しています。

こんなふうに医師が従来の権威を失った時代にあっても、医師には示すべきものがあると著者は言っています。「20世紀時代のカリスマ的イメージを剥ぎ取られてしまった21世紀の医師にも、代わりに提示できるものはある。それは自分たち自身の誠実な人柄や弱点など、自分たちのすべてである。(中略)人間としての医師が放つカリスマ性は、誤ったイメージで作られた古いタイプのカリスマ性と同程度に強力でありうるのだ(p34)」。人間性で勝負というわけです。

続く第2章では、医師の役割が分析されています。時計職人のように診断し、仕立て屋のように研究結果を患者に当てはめ、まじない師のように不安を鎮め、病気か否か決める門番の役割を担ったり、薬として捉えられる面があったりすることなどが述べられています。診断や研究結果を当てはめることなどは、EBMそのもので、科学的根拠を持っています。医学の科学的部分については【医学は科学ではない】に意見する で、長々と述べましたのでいいことにします。他に挙げられているなかで、まじない師としての仕事は、非科学的なものですが医療には欠かせない要素です。

まじない師としての仕事は不安を鎮めることだそうです。人類学では「呪術の効用は効果的な介入が利用可能でないときの不安のマネジメントにあるとされている(p67)」ので、不安を鎮める役割に、まじない師という言葉を使っているのでしょう。「不安に対するマネジメントは、ヘルスケアや診療には特に重要である。(p65)」のは、自分が病気になった経験からもよくわかります。科学としての医学は不安は消せないのでしょうか。それには次のように述べられています。「不安は不確実性から生じる。(中略)近代医学は実のところ、不確実性の度合いについての実験を行ったり、不確実性を減らすことを最重要事項とする、科学的方法に依拠している。(p66)」ので、「研究結果は確実性では表現されず、可能性で表現される。(p66)」。つまり、医学の科学的知識は確実性では表せられないため不安は消せないのです。

この本の主張の患者中心のケアでは、患者は意思決定も共有します。しかし、「共有された意思決定では、こうした可能性や不確実性を患者と分かち合う。しかし、すべての患者がそれを歓迎するわけではない。伝統的な医師からにじみ出ている信頼感のほうを好んで、権威のある人物に診てもらいたいという人もいるのである。(p67)」ということで、不安の解消のために権威を求める方もいるわけです。しかし、一般的には次にあるように権威を求めることは難しくなりつつあります。「19世紀の医師は主に呪術に頼っていた。20世紀の医師は意識的に科学を使い、呪術を無意識的に使っていた。多くの医師が不安を鎮める必要に気づいており、善意でしばしば薬としての医師の力(プラセボ効果)を利用していた。21世紀の医師は20世紀の意思のやり方ではいけないと考える。なかにはそういったやり方は非倫理的で、父権主義的だと考える医師もいる。(p67)」そんなわけで、不安の解消は医師に求めることは難しくなり、代替医療が不安の解消のために登場します。

この本の代替医療の部分を読むと、著者はあからさまな代替医療への批判はしていませんし、不安解消のためという効果も認めてはいるようです。しかし、評価は高くないでしょう。なんといっても呪術と同列の扱いです。

不安の解消は難しい問題です。この本でもすっきりした結論は無いように思います。

治療者としての医師と題された節があります。「治療者」というのがなんのことなのか、よく把握できてはいないのですが、例として「キリスト教社会ではイエス・キリストがしばしば最早期の治療者として描かれている(p86)」とありますので、イエスのイメージで捉えていいのだと思います。「「薬としての医師」という言葉は、医師が患者に適切に関わることで医師は治療者にもなりうるのだという事実を正しく表現していない。(p85)」とありますので、治療者は薬以上のものなのでしょう。

そんな治療者には全ての医療職がなれるそうです。「ナースはしばしば、医師の治療をケアや癒しによって補完しており、医療チーム内では治療者とみなされている。(p86)」。そして医師以外も、「個人的な「信仰療法師」から(中略)クリスチャン・サイエンスの実践家に至まで、みな癒しのパワーを持っていると主張している。(p86)」として治療者になりうるそうなのです。こうしてみると癒しの力があるひとが治療者なんですね。

そして治療者としての患者もありうるわけです。患者が自らを癒す者となるということです。「患者は癒しの中心に居なければならないし、それを可能とするための資源が与えられていなければならない。(p90)」患者中心の医療の宣言です。

第3章では、インターネットの普及により医師も患者も同じ情報源から情報を得ることが可能となったことをふまえて、患者がどのように知識を得て、どのように診察を受け、どのように意思決定をするべきか、書かれています。また、それに伴い、学習障害のある方、脳の疾患のある方、子供・青年に対して対処するときに生じる倫理的問題についても書かれています。

興味深かったのは、医師と患者は同じ情報源を使い、知識の由来を吟味しなくてはいけないということが主張されていたことです。ここまでくると、患者ではなくて医師のようです。患者中心ということはこういうことなんですね。知識の吟味のために、CASP(Critical Appraisal Slills Programme)のチェックリストが紹介されています。CASP Japanも結成され、そちらでも資料が手に入るようです。見てみましたが、ちょっと専門的な感じもします。使いこなすには少し勉強が必要かもしれません。

医師の診察を受けるときの質問も書かれています。「この疾患の自然経過はどんなものか?何もしなかった場合、どうなるのか?どんな治療の選択肢があるのか?(p103)」ここまでなら、普通なんですが、それぞれの治療の選択肢について「利益を得る確立はどのくらいか?どのくらいの大きさの利益を期待できるのか?完全な治癒なのか、単なる症状の緩和なのか?害を受ける可能性はどのくらいか?副作用はどのくらい重いのか?死ぬ可能性もあるのか?(p103)」までくると、かなり突っ込んだ質問ですね。死ぬといわれても受け入れる覚悟でないとできない質問です。

第4章では、21世紀の患者が行うべきことが書かれています。診察前の準備として「インターネット上にある資料を読み、確実に理解しておくことがかしこい患者には期待される。(p152)」、診察後に考えるために「患者には文書化された情報(印刷物の場合もあれば、ホームページ上の情報の場合もある)、診察の様子を録音したもの、意思決定を個別にサポートするための電話やeメールを用いた相談サービスなどが提供されなければならない(p153−154)」、自己管理のために「患者がいったんなんらかの治療を始めるという意思決定をした場合、患者には自分自身をケアするのに必要な情報や責任が与えられ、問題が生じたときのみ援助を求めることができるということになる。(p156−157)」。患者が行うべきことが今よりも増えるようです。

なるほどと感心したのは、ケアの評価についてでした。良いケアかどうか判断するには、ケアについての評価が必要です。患者満足度というものは、評価に使うには十分ではないそうです。その理由は、「患者の満足度はおおむね期待の度合いによって決定される。すなわち、患者の期待の度合いが低ければ質の低いケアでも患者は満足する。(p165)」。そうですね。期待が高ければ満足はしないです。患者の期待に左右されないようにするためには、患者の受けたケアの経験を評価するのが良いそうです。ピッカー研究所が開発した方法では、病院の環境だけではなく、患者に「どういった情報が与えられたかを思い出してもらうよう依頼する(p166)」「もし患者がいかなる情報をも思い出すことができないとしたら、(中略)この事実はヘルスケア組織にとって重要なことである(p166)」「患者の経験はサービスの質の直接的な指標となる(p193)」。なるほど、そうですね。患者が分かるように情報を伝えることが大切だということです。でも、そのために患者はインターネット等での勉強が必要です。21世紀は大変な時代になりそうです。

ケアの評価に関連して、別なところから引用を。「ケアの質が標準以下であるという理由からではなく、統計の世界ではいかなる集団においてもその半数は平均以下と位置付けられるものであるという事実によって、常に臨床家の半数は平均以下と位置付けられてしまうのである。(p98)」平均以下と標準以下の区別をしないと、無用の混乱を招きます。注意したいものです。

176ページにビル・ゲイツ氏の言葉が紹介されています。「考えてみるべき鍵となる質問は、デジタル時代に生きる人間の役割とは何なのかということである。(p176)」。この言葉はサービス産業を経営する人に向けられたということですが、著者は「医師にも同じく関係することである。(p177)」とします。インターネットが発達した時代の医師は、「優れた整備士でなくてはならない(p177)」。どういうことかというと、「エンジンに何か手入れが必要な場合は、修理のための知識がそれを必要とするすべての整備士にその日のうちに伝えられるだろう。(p178−179)」とありますから、最新の知識をすぐ手に入れることができるということのようです。次の文章でもそう主張されています。「同様に、ヘルスケアの安全性を向上させるための知識を普及しなければならないときに、その知識の到着までに数ヶ月あるいは何年もかかってしまうようであれば、あるいは役に立つ最善の形で届けられるのでなければ、その知識は役には立たない(p179)」。それには、環境整備も重要です。最新の医学知識を得るために、病院のどこからでもインターネットに接続できないといけないでしょう。次の言葉が印象的です。「高度な訓練を受けた整備士であってもハンマーしか与えられなければ、仕事はできないものである。(p179)」

「ビル・ゲイツ氏の提起した課題に対して、21世紀の医師は診療行為の人的側面に焦点を当てなければならない。(p183)」と書いています。「かつて医師が助けを得ることなしに使用していた技術の一部は、今やコンピュータやインターネットの支援を受けている。たとえば、 包括的かつ完全な病歴を取ること。最善かつ最新の知識を見つけ出すこと。最適な検査を選択すること。研究の知見と検査結果とを個々の患者に関連付けること。(p183)」こんなことは、ネットやコンピュータを使って処理し、医師は診療行為の人的側面に焦点を当てるべきであるという主張です。コンピュータの処理能力の向上と普及、インターネットサービスの充実により、医師の役割は変わらざるをえないようです。

医師の役割が変わるため、医師・患者関係も変わってきます。リチャード・スミス氏による医師と患者の間の新しい契約というものが書かれています。抜粋しますと「医学には限界がある。特に社会的な問題を解決するのは困難である。そして医学には危険を伴う。
医師はすべてを知っているわけではない。医師には、意思決定や心理面での支援が必要だ。医師は自らの限界を隠すべきではない(p188)」
大きな変化です。

インターネットの普及が社会を変えています。医療もその例外ではありません。医師と患者の間の医学知識の不均衡は縮小していきます。EBMには、このような医師と患者の医学知識の不均衡が縮小した時代に共有できる意思決定の道具として利用できる一面もあると感じました。

85ページに、「不確実性を強調したり、根拠に基づく医療(EBM)を推進することが、職業生活における大きな試練となる医師もいる。(p85)」と書かれています。「エビデンスを探し求めるあまり、ヘルスケアの人間的な側面への医師の関与がおざなりになってしまっているかもしれないのである。(p85)」確かにそういわれればそんな気もします。EBMに違和感を覚えるのもなんとなく分かります。そのような医師の印象的な文章がありました。「われわれがある証拠(proof)を求めて検索することによって、ケアの貴重な要素を損なうのを私は恐れる。患者と一緒に過ごし、手を取り合い、説明し、励まし、話を聞き、希望を与え、患者の生活に関心を持つことは、EBM革命のせいで時代遅れとなってしまった。失われた技は、100年前には診療の主力だった。(中略)われわれは科学のもたらした新しいツールを持つことによって、よりよい医師になったと思っている。しかし、果たしてそうであろうか。どこかしら、われわれには欠けているものがあるようだ。EBMという新しい尺度を持ったために、もっとも教えにくく、評価しにくく、説明しにくい医療の肝心な側面を急速に捨て去ってしまっているのである。(p85-86)」

この文章について著者は、183ページで「21世紀の医師は診療行為の人的側面に焦点を当てなければならない。」と書かれていますので、著者も「教えにくく、評価しにくく、説明しにくい医療の肝心な側面」を重要視していると思います。だからこそ、EBMを提唱したのではないでしょうか。医師の限界を認め、コンピュータを利用できるところは利用する(それがEBMだと思います)、そういう考えがあるのではないでしょうか。

「本書では、患者には自分自身のケアを現状よりも良くするような情報源にアクセスする権利があるということを論じている。しかし、権利には責任も伴うのである。(p151)」。医師は権威を失い、患者は責任を自分で引き受けるという、医師も患者も大変な時代に突入しつつあるようです。そんな時代になるだろうなという印象は、私も持っています。何十年後かわかりませんが。

患者中心の医療を考える方、インターネットにより変化する医療を考える方は読んで損は無い一冊です。ここには書きませんでしたが、ガイドラインやクリニカル・パス、ナラティブ・メディスン、スクリーニングの問題、情報提供をするうえで倫理上問題になる患者への対処、医薬品の広告と情報提供など、これからの医療を考える上で重要な話題について触れられています。

実際に本書を読もうかと思われた一般の方は、この本ではイギリスの医療制度が前提とされた記述になっているので、それについて知っておかれたほうが良いかもしれません。こちらのサイトで旅行者向けの情報があり、こちらのサイトでイギリス医療の実体験の報告がありました。専門医受診までの待ち時間がものすごい長いです。

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【医療過誤・医療事故の予防と対策 病・医院の法的リスクマネジメント 森山満著 中央経済社】
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三余亭
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2006/12/11 00:06
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三余亭
2010/04/29 10:12

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