三余亭

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zoom RSS 射水市民病院の呼吸器外し 外科部長の取った行動は誤りだったという意見

<<   作成日時 : 2006/04/26 01:45   >>

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毎日新聞で射水市民病院の呼吸器はずしについての記事を見つけました。私の意見とは異なるところも多いのですが、良い記事だと思いました。
記者の目:射水市民病院の呼吸器外し問題=根本毅(大阪科学環境部)
http://www.mainichi-msn.co.jp/eye/kishanome/news/20060421ddm004070071000c.html
 ◇「医師が命の線引き」、嫌だ−−延命治療、議論を尽くせ

 富山県射水(いみず)市の射水市民病院で末期患者7人が人工呼吸器を外され死亡した。病院側や多くの医療関係者の意見は「越えてはならない一線を越えた」と、6件の関与を認めた外科部長(50)=自宅待機中=に厳しかった。しかし、病院周辺では「家族との信頼関係の中で外した」とする外科部長に同情する声が根強い。どちらが正しいのか、現地で取材しながら悩んだが、偶然あたった主治医の死生観で自分の死に方が決まるとしたら、納得できない。外科部長の取った行動は誤りだったと思う。
(中略)
 病院の別の医師は「外科部長は呼吸器のスイッチを切る時に手が震えなかったのだろうか。命の重さを考えたら、私にはできない」と話す。
(中略)
 一方で、忘れられないシーンがある。病院から出てきた男性(55)に声を掛けた時のことだ。男性はうんざりした口調で「介護したことある? ないなら現実の大変さは分からないよ。外科部長の気持ちは理解できる」と話した。私は末期患者をみとったことはない。返す言葉がなかった。
(中略)
 人の死についてはさまざまな意見がある。終末医療のガイドラインを一律に決めることは簡単ではないだろう。しかし、個々の医師の考えで生死が線引きされる状況は、明らかにおかしい。(以下略)


個々の医師の考えで生死が線引きされる状況はおかしいというのはもっともです。反論ありません。

記事で紹介された介護の経験のある男性と同様の気持ちがどこかにあります。根本記者のように末期患者をみとったことの無い方のために、疑似体験としてモモくん、ありがと。を読んで頂いて、できるかぎり現場を知って頂かないと、話が通じないと思いました。

今回の外科部長の件が罪になるかどうかですが、前にも書きました横浜地裁での判断を再び引用しますが(朝日新聞の要旨が間違っていたらすみません)、
1.治療行為の中止は、患者の自己決定権と医師の治療義務の限界を根拠に許されると考えられるが、患者の自己決定権は、死そのものを選ぶ権利、死ぬ権利を認めたものではなく、死の迎え方ないし死に至る過程についての選択権を認めたに過ぎず、(以下略)。死の回避不可能の状態に至ったか否かは、医学的にも判断に困難を伴うので、複数の医師による反復した診断によるのが望ましく、死の回避不可能な状態というのも、中止の対象となる行為との関係で相対的にとらえられる

2.中止を求める患者の意思表示は、明確な意思表示によることが望ましく、(中略)病名告知やインフォームド・コンセントの重要性が指摘される。患者の明確な意思表示が存在しないときは推定的意思によることが許され、推定的意思を認定するには、事前の文書による意思表示や口頭による意思表示が有力な証拠となる。(中略)
患者の事前の意思表示が無い場合は、(中略)患者の意思を推定させるに足りる家族の意思表示によることが許される。こうした患者の意思を推定させるに足りる家族の意思表示と認められるには、家族が患者の性格、価値観、人生観等について十分に知り、その意思を的確に推定しうる立場にあることと、患者の病状、治療内容、予後等について十分な情報と正確な認識をもっていることが必要である。また、家族の意思表示を判断する医師側においても、患者及び家族との接触や意思疎通によって、患者自身の病気や治療方針に関する考えや態度、患者と家族の関係の程度、密接さなどについて必要な情報を収集し、患者及び家族をよく認識し理解する適格な立場にあることが必要である。この患者の意思の推定においては、疑わしきは生命の維持を利益にとの考えを優先させねばならず、また複数の医師によるチーム医療が大きな役割を果たすといえる。


太字のところを解釈すると、複数の医師による反復した診断によるのが望ましいというのは義務か?、とか、患者の事前の意思表示がない場合は家族の意思表示によることが許されると書いてあるじゃないかとか、思えるわけです。(法律用語の望ましいは義務だといわれればそれまでです。)

そうすると、望ましいとは言えないけれども、罪に問うのは難しいんじゃないの?と思ってしまうわけです。(ただ、死の回避不可能な状態というのも、中止の対象となる行為との関係で相対的にとらえられる、というのが良くわからないので、こちらの解釈では罪になるかもしれませんけど。)

しかし、根本記者が書かれた「終末医療のガイドラインを一律に決めることは簡単ではない」ということには全く同感です。

また、やはり終末期医療の現場を知らないと議論が空中戦になる、という気持ちがありますから、記事の中の「返す言葉がなかった」という言葉にも、好感が持てました。

部外者として高みからモノを言う感じがしない記事で良い記事だと思いました。

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