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zoom RSS 【ドーキンスvs.グールド 適応へのサバイバルゲーム キム・ステルレルニー著 ちくま学芸文庫】

<<   作成日時 : 2006/06/23 11:32   >>

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学生時代に生化学講座の助教授(理学部出身)が講義で「進化論なんてお話だ!」と突然話し出したことがあります。生化学(というか当時は既に分子生物学ですが)ではモノで実際に証明して見せるのに進化論はそんなことはしない、という内容の話が続いたように記憶しています。当時は、同じ”科学者”で、”生物学者”であっても、そんな風に意識の差があるんだと思ってました。ま、助教授の虫の居所が悪かったのでしょう。

お話と言われてしまった進化論ですが、個人的には抵抗無く受け入れております。とはいえ、進化論を詳しく知っているかというと、そういうわけではありません。木村資生氏の中立説を何かで聞いたことがある程度です。この本で紹介されているようなドーキンスグールドの間で論争があったなんて全然知りませんでした。

著者の専門は生物学の哲学、心理学の哲学だそうですから、生物学の哲学、進化の哲学と呼ばれる分野の1冊ということになります。科学哲学の具体的な分野の1冊です。ドーキンスとグールドの進化についての主張を検討している本です。翻訳は狩野秀之氏。

淘汰の役割、地域内での小進化から大きな進化を説明する「外挿主義」と「断続平衡説」、大量絶滅、グールドの異質性の概念、社会生物学に対する考え方、などでの論争が解説されています。

異質性の概念の論争についての解説が面白かったです。異質性という概念を用いてグールドが主張する進化のパターンについて、著者は懐疑的です。

グールドの主張を著者は以下のようにまとめています。
彼(グールド)は多様性と異質性を区別した。生命の多様性とは、そのときに存在する種の数を指す。(中略)一方、生命の異質性は、そのときに存在する基本的な体制や体のプランの数で測られる。甲虫の動物相の非常な豊かさは、生命の多様性には大きく貢献しているが、異質性に対しては寄与していない。甲虫は、サイズや色、性的装飾などではさまざまに異なっているが、すべてが同じ普遍的なパターンによってできているからだ。(p89)

カンブリア紀には、現在は見ることのできない門が数多く存在していた。(中略)その後、新しい門は出現せず、多くが姿を消していった。次に、門の数は異質性の信頼できる指標なので、カンブリア紀の異質性は現在よりもずっと大きかったことになる。動物の歴史は、分化が漸進的に進行していった過程ではなく、まず最初に溢れるように生み出され、その後多くが―おそらく急激に―失われた過程なのだ。(p122)


確かに、カンブリア紀に現在絶滅した門があり、その後新たな門を形成する生物が生まれていないということは、グールドの主張に説得力があるように思えます。カンブリア紀の奇妙な生物を見ると、動物の歴史は失われた過程というのも一理あるような気がします。

この主張に対する反論が紹介されています。

「生物学的分類とは、進化の系譜学に他ならない」という考えの分岐分類学からは異質性という概念に疑問が出されます。
彼ら(分岐分類学者)は、類似性を客観的に測定できるとは考えない。(p126)

われわれが下す類似と相違の判断は、人間の知覚および関心という偏向が反映されたもので、世界の客観的特性とはいえない。人間は視覚的生物である(p126)

仮に知覚力を備えたデンキウナギがいて、われわれと同じ情報を与えられていれば、われわれと同じように生物の系譜図―どれとどれが近縁か―を再構築できるはずである。系統関係は(中略)歴史の客観的事実であるからだ。だが、デンキウナギは、異質性について人間と同じ判断を下すだろうか?(p127-128)


ドーキンスは節足動物の分類学を例に出して反論したようです。
グールドは、体節や付属肢のパターンといった、節足動物間の系統的つながりの指標として間違いなく重要な属性を取り上げ、それを節足動物の異質性の尺度として用いる。(中略)こうした属性は、その本質的な重要性によって選ばれたのではない。ただ五億年にわたって保存されてきたという理由で選ばれたものなのである。(p131)


これらグールドの意見に対する反論の方が、説得力があると思います。異質性は見た目の問題だけかもしれないと思えてきます。

著者はこれらの反論の方が正しいと考えています。
多様性と異質性の区別は非常にもっともらしい。(中略)異質性の本質について満足な説明は得られていないし、異質性の客観的指標もみつかっていない。そうしたものなしでは、グールドの主張する奇妙な進化のパターンの存在は、憶測の域を出ないままだ。(p132)


グールドに批判的な部分を取り上げましたが、そんなことばかりではありません。
大量絶滅の重要性についてのグールドの主張は、その根底においては、大量絶滅と背景絶滅には質的な違いがあり、大量絶滅さえなければ生き延びていたはずの主要な生物群が姿を消したという見方に拠っている。実証するのが難しいとはいえ、この主張はきわめて説得力がある。さらにグールドの主張は、種レベルでの属性が生き残りの可否を部分的に決定しているという考え方にもとづいている。大量絶滅期を支配していたのは種淘汰なのだ。これもまた説得力のある推測ではあるが、確証はまだ得られていない。(p109)


グールドが唱えた断続平衡説について種分化についての仮説と考えたときに、それは説得力を持つということを明確に述べている部分があります。断続平衡説を著者は以下のように解釈しています。ドーキンスの断続平衡説についての考え方とは違うようです。
ドーキンスは断続平衡説を、地域集団内での変化の速度についての考え方だと解釈している。だが私の見るところ、断続平衡説とは、地域的な変化がいかにして、どんな状況のもとで種分化を引き起こすかについての仮説なのだ。(p98)


「はじめての進化論 河田雅圭著 1990年 講談社現代新書」の全文を公開している河田雅圭氏のサイトでの断続平衡説が誤っているという解説を読むと、一般的には種分化の仮説とは考えられてはいないようです。

著者は断続平衡説を捉え直した上で、断続平衡説による種分化の説明には好意的です。
地域集団で観察できるプロセスは歴史のストーリー全体を語ってくれないと考える点で、グールドとエルドリッジは正しい。この見取り図は補ってやらねばならないのだ。問題は平衡状態ではなく、種分化のほうにある。(p96)

ある集団が時として新しい種に変容することの説明は、何であれ、大規模だが稀な気候的、地理的、地質的な出来事(中略)に頼らざるをえないように思える。これには外挿主義(地域内の適応の積み重ねで種分化のような大きな変化がおきるとする考え)は通用しない。地域集団内の進化的変化を研究するだけでは、種分化を理解できないのだ。だが、これはラディカルな大転換というわけではない。ドーキンスはこの主張を受け入れることができただろうし、受け入れるべきだったし、おそらく現に受け入れている。(p98)


なるほど。断続平衡説を種分化についての仮説とするなら、それは納得のできるものになるようです。

著者は、グールドに関しては、断続平衡説を種分化についての仮説として好意的に考えていますが、他の点についてはドーキンスの考えを支持しています。

例えば、ドーキンスとグールドの違いのひとつに、淘汰の対象として、遺伝子を主とするか、個体から種に重きを置くかというものがあります。ドーキンスは、遺伝子淘汰論者、一方のグールドは「彼(グールド)は、遺伝子レベルでの淘汰という考えに対しきわめて懐疑的だ。ドーキンスの理論の前提である、個々の遺伝子がその持ち主の適応度に十分に影響を及ぼせるという点をグールドは疑っているからだ。(中略)グールドは、淘汰が働く場合は、個体に対して作用するのが通常だと考える。(中略)グールドは、「種淘汰」の理論に好意的である(p21)。」

この問題に関しては著者はドーキンス支持を表明しています。性比歪曲因子(性比を1:1にしないような遺伝子)や分離歪曲因子(自分と対になっている対立遺伝子を化学的な手段で排除し、自分が配偶子へ複製されるチャンスを高める(p51)遺伝子)などの無法者遺伝子や、「延長された表現型」として寄生生物が宿主の行動を変えてしまうことなどを考慮し、ドーキンスの考えの方がグールドよりも良いとの判断です。
無法者遺伝子と「延長された表現型」遺伝子は、淘汰が生物個体に作用するという進化観の中にはうまく収まらない。この点では、進化に対するドーキンスの見方は、グールドの見方よりも優れているように見える。(p55)


この部分に関しては、私もこれら特殊な状況も説明できるようにするにはドーキンスの考えの方が広く当てはまると思いました。生命誕生以前の、遺伝子(自己複製子)が誕生し生物の誕生により淘汰が直接には個体に働くようになったという説明を受け入れられれば、より納得できるのではないでしょうか。
原初の地球で、自己複製子が誕生し、「自己複製子自身の分子の性質が淘汰の対象となった。(p29)」その後、「生物が「発明」されたことは、進化と淘汰の両方の性質を変えた。p32)」「自然淘汰は、通常の場合、直接的には個体に作用し、自己複製子には間接的に作用するようになった。さらに、淘汰の対象となるのは、個々の自己複製子ではなく、自己複製子のチーム、すなわち乗り物を形作るゲノム全体になった。(p33)」


とはいっても、遺伝子淘汰と群淘汰は両立するし、その点についてドーキンスも同意していると書かれています。

でも、ドーキンスとグールドの間では共通して認識していることも多いのです。著者も書いています。
進化という問題について、ドーキンスとグールドの意見の多くは一致している(p11)


進化について良い勉強になりました。

最初に紹介した生化学の助教授が言うように、進化論はお話しなのかもしれません。しかし、そこには人間が自然を秩序だって理解したいという欲求があり、多様な現実を整合性をもって説明するという行為が、確かな証拠に基づいて行われていることがわかります。本書の解説によりそれがわかります。それを考えるなら、進化論をただのお話しとは言い切りにくくなります。助教授には悪いですが、進化論も分子生物学同様、科学の一分野であることが実感できます。

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