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zoom RSS 大阪の病院、赤ちゃん延命中止 治療より「看取り」

<<   作成日時 : 2006/07/31 12:02   >>

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産経新聞の記事によりますと、死が避けられない患児で延命治療が中止されたとのことです。淀川キリスト教病院でのようです。私は小児科医ではありませんので、射水市民病院での呼吸器外しで書いたような意見表明は無理ですが、生後2ヶ月の子供の父親として、感想や思うところを書きたいと思います。

まずは、産経新聞から。
大阪の病院、赤ちゃん延命中止 治療より「看取り」
≪死期迫り7年で8人≫

 大阪市東淀川区の「淀川キリスト教病院」(石田武院長)が昨年までの7年間で、重い病気で死が避けられないと判断した赤ちゃん8人について、両親の希望を受けて延命治療を中止していたことが29日、分かった。同病院は、親が赤ちゃんを抱っこするなど「最後に親子一緒に過ごせる時間をつくってあげたい」としている。

 法的に問題ないが、本人の意思確認ができない赤ちゃんの終末期医療をめぐって今後論議が深まりそうだ。

 同病院は平成10年10月、無脳症などの致死的障害や末期の脳室内出血などを検討対象とする赤ちゃんの終末期医療に関する指針を作成。11年から昨年までに指針に基づき対応したケースを集計したところ、死亡した赤ちゃん約70人のうち、人工呼吸器も含めすべての延命治療を中止したのは8人だった。

 いずれも新生児集中治療室で積極的治療を受けたが、複数の医師が回復不可能と判断。余命が「数十分から1、2時間」とみられる時点で両親の希望を受け、治療を中止した。

 治療中止に至る両親との話し合いには、看護師やソーシャルワーカーなども立ち会い、医療チームを組織して何度も議論を重ねる場合もあったという。

 また、苦痛の除去など一部を除いて新たな治療を差し控え、家族との時間を尊重する「緩和的医療」の対象となった赤ちゃんが57人いた。

 同病院は「親に子供の死を受け入れてもらえる時間をつくってあげたいという『看取りの医療』を実践してきた。『別れの儀式』という意味合いもある」としている。

 同病院は昭和30年に診療所として開設。宗教法人「在日本南プレスビテリアンミッション」が運営する。末期がん患者の終末期ケアを行うホスピスを国内で先駆的に導入した病院として知られる。

≪「親が意思決定」賛否両論≫

 淀川キリスト教病院の赤ちゃんへの延命治療中止は、厚生労働省のガイドラインにのっとった手続きで、法的に問題はない。

 だが、新生児の終末医療については論議がまだ十分ではないのも事実。親が子に代わって意思決定することは、一歩間違えば「生命の切り捨て」につながりかねず、識者から賛否両論が出ている。

(中略)

 親の立場もさまざまだ。先天性水頭症の患者団体「日本水頭症協会」代表の山下泰司さん(41)は「私は重症新生児への延命治療拒否は絶対ノー。生まれてくる子の命を奪う権利は、親といえどもない」。

 その一方で、「ただ、親にもさまざまな考えがあるだろうし、最終的には個々の判断だ。同じ立場の親たちには『一緒に頑張ろうよ』と伝えたいが…」と複雑な胸の内を明かす。

 谷澤教授は「今回のケースは病院関係者や両親が十分に話し合った上での決断のはず。それがよかったかどうかは、関係者の哲学の問題だ」と話している。

【2006/07/30 東京朝刊から】

(07/30 10:57)


個人としては、「生まれてくる子の命を奪う権利は、親といえどもない」というのではなく、「助けられない命の残された時間をともにどう過ごすか」ということが問題なのであって、呼吸器なしでは生きられない赤ちゃんを呼吸器につけたまま親と触れ合わせずに過ごさせ、亡くなってから親と子の触れ合いをさせるのが良いのか、という問題なのだと思います。「殺した」ではなく、「助けられない」時にどうするか、という問題だと言っても良いかもしれません。

自分の子供は幸いにして重度の障害をもたずに生まれてきました。しかし、そのようになる可能性もあったわけで、妻の妊娠が分かったときには、子供が病気であったらと余計な心配をしたものです。

今後、交通事故などで命が助からないという状況に自分の子供がなった場合、どうするか。想像したくもない事態ですが、万が一その場合は、私は延命治療は中止したいと思います。実際にこんなことが起きた場合は妻の意向も聞かなくてはいけませんし、妻が延命治療を希望するなら、そのようにすると思いますが。この場合、「殺した」のは交通事故です。私の延命治療中止の決定ではない、と考えると思います。

しかしながら、これが少しでも助かる状況ならどうするか。非現実的ですが、6時間後に新しい薬が手に入り、それなら治せる病気であるが、普通ならあと4時間しか生きられない、という状況なら呼吸器を外すかどうか。私は、一縷の望みをかけて、呼吸器をつけ続けることをお願いすると思います。望みをかけたい、と思います。

子供が生存可能であるが障害が残る場合はどうするか。呼吸器はつけ続けるでしょう。この場合、呼吸器を外すことは、子供の命を奪うことと同じだと思います。この場合は私にはそんな権利はないという言葉の通りだと思います。

このように、いろいろな状況によって、私の判断も違ってくるだろうと現時点では思っていますし、違うのが当然だと思います。

淀川キリスト教病院のガイドラインを確認して無いのですが、”一歩間違えば「生命の切り捨て」につながりかねず”ということがないようにきちんとしていると思うのですけど。特に、先に例のあげた生存可能であるが障害が残る場合は、延命治療中止の検討はしないようになっているのではないでしょうか。しっかりした病院だと思いますから、この程度の配慮は当然してあると勝手に想像しています。延命治療中止の報道をするなら、この点も調べて報道していただきたいところです。そうでなければ、ただの因縁づけです。

ご両親の決断は、延命治療中止にしても、続行にしても、大変な苦悩だと思います。どのような決定をされても、それが尊重されるべきだと思いますし、その子にとって一番良い決定をされたのだと思います。事情がわからない私が言うのも失礼だとは思うのですが、その子にとって一番良い決定であったと思います。

話し合いで決め、法的にも問題がないなら、他人としては決定されたことについて善悪の判断は出来ないのではないでしょうか。他人が、「赤ちゃん本人の意思確認が必要」というできもしないことは言わないで欲しいですし、「意思確認ができないのだから延命治療はどんな場合も続行」というのもどうかと思います。個人的な意見ですが、ともに過ごした時間というのは量と質により決まると思います。過ごした時間の質が余りに低い場合は量があっても仕方ない、と思います。苦痛な時間は短い方が良いでしょう。逆に時間としては短くても充実した質の良い時間を過ごせるなら、そちらの方がともに過ごした時間が単に長いということよりも幸せなのだろうと思います。もちろん、この意見とは反対の意見もあるでしょうし、その価値観で判断されることに問題はないと思います。子供の命について判断される両親の苦悩を思えば、長く時間を過ごしたいというのもわかりますし、自分も現実にそういう立場に立てば、そのような判断をするかもしれません。

最後になりますが、ご両親の決断は、識者と呼ばれる方が何を言おうと、正しかったと私は考えております。発言が取り上げられることのないご両親の決断が、識者の報道で知るかぎりの意見や記者の意見よりも、絶対に正しいと考えています。

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子供の救急最前線!!育児に関わる人すべて...
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