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zoom RSS 基礎科学研究の実用性と科学予算

<<   作成日時 : 2006/09/09 09:39   >>

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日経サイエンス2006年10月号を遅ればせながら購入して読んでおります。この10月号では科学予算を得ようとする場合にとりうる2つの立場、それは、実用性も絡めるという立場と、実用性と切り離して科学の文化的意義を主張するという立場からの発言がありましたので、そのご紹介と意見を。

まずは、3頁の”てれすこーぷ”という小さな記事から。革命前夜と題して前高エネルギー加速器研究機構長 戸塚洋二氏の文章が掲載されておりました。

素粒子物理学は革命前夜にあるとして、ダークマター・ダークエネルギーが解決すべき謎として紹介されたあと、以下の文章が続きます。
19世紀末、物理学者の前には古典物理学では解決できない謎が山積していた。それが20世紀初頭、量子力学と相対性理論が登場し、多くの謎が解けた。そして電子産業の基盤となる半導体や原子力発電、原子爆弾が生み出された。こうした歴史に鑑みると、これから20世紀初頭と同じような科学革命が始まり、その先に大きな技術革新がなされる可能性が高いと思われる。


この文章の趣旨を極端に簡略化するなら、基礎研究が技術革新に繋がるのだから基礎研究の予算を増やせ、ということだと理解しました。(実際は戸塚氏が後述する遠藤氏と違って森羅万象を解くということを無視しているわけではなく、そのことを前提としてこういうことを述べられています。)基礎研究は世界の謎を解くばかりではなく役にも立つ、ということで予算を獲得する戦略のようです。

それとは異なる立場が”茂木健一郎と愉しむ科学のクオリア”という対談での京都大学霊長類研究所教授 解剖学がご専門の遠藤秀紀氏の発言。

茂木 経営改革は欧米の大学にもあります。バイオテクノロジーなどの分野では、日本より徹底しているといえますね。
遠藤 しかし、博物館や美術館を含めた芸術とか文化の価値は、その方法論に当てはめることはできないという暗黙の了解も存在しています。
(中略)
茂木 今、科学の世界では費用対効果だとか知的財産権だとか、ビジネスよりの話ばかりが目立ちます。しかし、ひと昔前までは、世界の森羅万象を解くという科学者の文化というものがあった。遠藤さんは、いまだにそういう美学を持っていらっしゃるわけですね。
遠藤 現在でも解剖学が好きな人には、もしかするとそういう人が多いかもしれません。僕も一貫してサイエンスは文化だと思ってます。
茂木 日本の博物学の置かれた状況を考えると、いまその文化の部分が衰えつつあるといえるかもしれませんね。
遠藤 その原因のひとつには、サイエンスとテクノロジーの区別ができないという、日本人の国民性があるかもしれません。
基礎研究は文化であり役に立つ立たないとは別の次元なので文化事業として考えよ、ということに簡略化できると思います。

お二人とも、科学それ自体が持つ価値、自然の謎を解くこと自体の価値は当然認めてらっしゃいます。私も自然の理解が深まることは、それ自体の価値があると思います。しかし、現在の科学はお金がかかってしまいます。そのお金を持ってくるために、科学が実用的にも価値があると言うべきなのかどうなのか、ということでおっしゃることの内容に違いが出てくるのだと思います。

お二方とも自分の分野で、予算などの経営面でのご苦労がいろいろあるようです。
基礎研究に限ってみると現状でも米国政府の投資額は日本の4.5倍。日本では研究投資すら各分野への配分が硬直しており、一方で米国の新たな方針を考えれば今後、その差は開くだろう。(革命前夜 戸塚洋二)

日本では5000点の標本を保管しているとすれば、「それを何にどれくらい利用しているのか説明せよ。説明責任を果たさなければ収蔵庫をつぶすぞ」という動きが起こる。大学は独立法人になりましたが、その理念のひとつには「稼げないものから捨てていく」ということがあり、それを実行すれば標本など保存しようがない。(科学のクオリアより遠藤氏の発言)


限られた予算をどのように配分するかという問題を、資源をどう効率的に分配するかという問題と考えるなら、経済学の出番なのでしょうか。経済学には素人の浅はかな考えですが。

それはさておき、実用的な役に立つというのはわかりやすく、税金を出すほうとしても納得しやすい理由です。しかし、実際に実用的に役に立つかどうかは、やってみないとわからないところもあるわけですし、実用的に役に立つとしても何年先になるかわからないわけです。(戸塚氏もそのようなお考えだと思います。)結果がでてもそれが技術に応用されるまで100年かかるかもしれません。短期的な視点での実用性を、研究予算のための評価の客観基準とするのは難しいと思いますし、可能性だけを考えれば、どんな科学知識でもそのうち実用的意義をもつようになる可能性はあるわけです。

それを考えるなら、科学研究、特に基礎科学研究には短期的に実用的な結果を求めてはいけないと思います。もちろん、実用的な結果がでればそれは素晴らしいことですが、それはずっと先のことかもしれません。短期的な評価は難しいですし、長期的といってもどれくらいにすればよいのか見当もつきません。100年?200年?

ということを考えるなら、100年後に役に立つかもしれない可能性があるし、何が役に立つかわからないからとりあえず投資してくべきだ、という考え方ができそうです。超長期的実用性・可能性としての実用性を考えるべきである、という考えに基づく立場でしょうか。今生きている人間は、実用性について判断ができない可能性が高いので、とりあえず投資として予算をつけておけ、という考えでもあります。戸塚氏の考え方そのものではないにしても、近い考えだと思います。

しかしそのような超長期的実用性を考えることができるのか?それに意義はあるのか?という問題はあります。超長期的実用性の評価はどんな人間にも無理ですから、それを考えることのできる具体的な人間はいませんし、役に立つ可能性がわずかでもあるというのはどのような知識についてもいえることですから、可能性のあるなしだけでは研究間の区別をつけるのには使えません(あるなしではなく、数値化できればどうにかなるかもしれませんが、どうやって数値化するのかという問題は新たに出てきます)。素朴な超長期的実用性を考えることは少し無理がありそうです。

ということを考えるなら、短期的実用性についてある程度目安が無いとその科学分野に文化事業以上の潤沢な予算はつかないでしょう。特に税金などの公的資金であれば、役に立たない研究よりは役に立つ研究に予算を、というのはもっともな考えです。税金の配分ということを考えるならば、短期的実用性を重視することも大切なことだと思います。

科学研究は文化事業であると割り切るなら、税金からのお金だけではなく、広く一般からお金を集めるという手段も考えられるかもしれません。科学者と芸術家と同じと考える立場でしょうか。音楽会のような、科学の勉強会。それらを有料で行い、それで研究資金をまかなう。日本だけではなく、世界を対象に、海外に出かけていって講演をする。ま、かなり無理がある考えですが。音楽とは違って、科学の理解のためにはかなりの勉強が必要ですから。

基礎研究は直接の短期的実用性を強調できない分、大変なご苦労があるのだと思います。基礎科学での予算の獲得には、建前としての実用性、文化としての価値など、科学以外の技術や社会文化などとの関連も述べなくてはならないようです。しかしどちらも、述べたようなツッコミが入る余地があるわけです。素直に科学自体の自然理解を深めるということに社会が価値を見出してもらえれば苦労は無いのでしょうけど、そのためには一般の方の科学知識にかなりのレベルを要求するのだと思います。

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