三余亭

アクセスカウンタ

zoom RSS 【赤を見る 感覚の進化と意識の存在理由 ニコラス・ハンフリー著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店】

<<   作成日時 : 2006/12/23 14:56   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 1 / コメント 0

「最新脳科学 心と意識のハード・プロブレム 学研」という1997年に出版された本が手元にあります。その中で、デビッド・チャルマーズが意識のイージー・プロブレムとハード・プロブレムについて語っています。
イージー・プロブレムとは次のようなものです。―脳はどうやって環境中の情報を弁別するのか、それらの情報は脳の中でどう統合されて行動を制御するのか、我々が自分の心の状態について口頭報告できるのはなぜなのか?(中略)
神経科学は(中略)イージー・プロブレム―実際にはとても難しいというのが公平というものだが!―にばかり焦点を当てている。(中略)
ハード・プロブレムこそが意識を魅力的なテーマにしている。なぜ意識という現象が存在するのか?それは何をしており、誰がそれを必要としているのか?なぜ脳はこういう経験状態がないとその仕事をまったくしないのか?(p107-108)


ハード・プロブレムなどというのは存在しないというダニエル・デネットの批判もあったようですが、まあ、意識は不思議な感じがするものです。

今回の【赤を見る】は、まさしくこのハード・プロブレムについての本です。
人はみな、一生懸命に生き延びようとするが、その場合、生存はたいてい意識の存続を意味する。意識は重要だ。何にもまして重要といってよかろう。
だが、意識とはいったいぜんたい何なのか。この謎に迫るのが本書の目的だ。(p8)
狙いは、私たちが理論家という立場から取り組めるような、意識の概念を産み出すことにある。(p12)
2004年のハーヴァード大学での講演をもとに書かれた本です。

著者は、大脳皮質第一次視覚野を取り除かれたサルが盲視(見えているのだが、見えているとは信じていない)であることを発見し、また、人間でも大脳皮質の視覚野に損傷を受けた方で「自分が盲目だと信じており、何の視覚的感覚もないと報告したが、それでも、物の位置や形を推測することができた。しかも、後にわかったのだが、色も正確に推測(p55)」できることから、
感覚と知覚は同一の出来事によって引き起こされるとはいえ、その出来事に対するそれぞれ別個の反応で、順番にではなく平行して起きるのであり、仮に相互作用することがあるとすれば、それはずっと後の段階になってからの話だろう。(p58)
と考えます。別のところで、「際立った質感を伴う視覚的感覚を生み出す。ここでまた哲学の用語を借りれば、彼は「視覚的クオリア」を生み出すのだ。(p19)」と書いてありますから、感覚とはクオリアと同じ意味のようです。著者は「感覚と知覚を別個の心的プロセス(p67)」とするモデルを提唱するのですが、これに対しては批判があるようです。賛成しているのはダニエル・デネットくらいらしい。批判の一つは、感覚と知覚を関係ないとしている点に向けられます。それに対する反論としてトーマス・リードの「知覚とそれに呼応する感覚は、同時に生み出される。私たちは両者を別々に経験することは無い。したがって、自然と両者を一体と考え、それに一つの名称を与え、それぞれの属性を混同するようになる。(p70)」他にも、ラマチャンドランの実験結果を出して反論しています。二つ目の批判は、感覚が何の役にも立っていそうに無い点に向けられているようです。これについては、本書の最後の方で著者が感覚の意義を示します。

このモデルと進化論を組み合わせれば、アメーバのような生き物での外界からの刺激に対する反応から、感覚と知覚の成立の物語が描けます(p95―106)。これはなるほどと思います。ストーリーとしては、
1.塩分あるいは赤い光に対し、「塩辛い」「赤い」と局所的な反応をする。(これが感覚=クオリアの原型)
2.自分に働きかけてくるものの知識があった方が良いので、自らがそれについてどうしているかモニターするようになる。(心的表象を作る)
3.刺激がどこから来ているのか、外の世界について何を意味しているのか気にするようになり、感覚器官から入ってくる情報を一から分析する経路を新しく作る(知覚になる)
4.古くからある原始的な局所反応が潜在化して脳内のループになる。
雑に書きましたが、本書ではもう少し細かく解説されています。

意識の特殊な性質の謎を解く鍵は、じつは脳の「再入力回路」にあるという直感を持った人が何人かいる。彼らによれば、この神経活動がループを形成しておりある種の自己共鳴を引き起こすのだという。(p134)
ということで、原始的な局所反応が脳内ループとなり、それが神経活動のループとなって意識を生じさせているということになるようです。「再入力回路」の参考文献としてあげられていたPollen DAの論文はこちらこちら

似たようなことが「唯脳論 養老孟司著」にも書いてあった気がして探してみました。文庫本があるらしいのですが、青土社からの単行本しか持っていません。単行本では、
進化の過程を考えてみよう。動物の脳は外界の刺激を取り入れ、それに応じて自分の体を適当に動かすものだったはずである。そこには、明らかに二つの知識が含まれている。一つは外界つまり環境に関するもの、もう一つは自分の体に関するものである。(中略)自分の体に関する知識は、たとえば身体地図の作成に至って完成に近くなったが、同時に少なくともヒトの段階では、脳自身に関する知識を含むことになった。それが「意識」に他ならない。脳もまた身体の一部だからである。(p119―120)
意識の機構としては同じようなことを言っているような気もしますが、原初的な反応が進化して感覚(クオリア)となった、ということではないようですから、結果としては別の主張と考えたほうが良いのでしょう。多分。

その後、著者は、心身二元論についても述べます。著者の知覚と感覚のモデルに対する批判に対する答えにもなっています。心と身体の二元性は、つまり「個々の人間に非物質的な魂の存在を信じさせ(p140)」ることは、「より長く、より実り多い人生を送る(p141)」のに役立ち、「新しく目覚しい生物学的適応として働いている(p142)」ということです。そのように適応してきた心・意識が重要である理由を著者は次のように述べます。
意識が重要なのは、重要であることがその機能だからだ。意識は、追い求めるに値する人生を持った自己を、人間の内に作り出すよう設計されているのだ。(p145)


心や意識をそんな風に捉えるなんて身も蓋も無いととるか、進化の結果生み出された心・意識のすばらしさに感銘するか、意見がわかれそうなところではありますが。

心身一元論に立ちながら、二元論が出てくる理由というものも説明しているという点では良いモデルなのでしょう。

知覚と感覚の区別をつけて読めれば、スムーズに読めますが、この区別がうまくつけられないと読みにくいと思います(区別をうまくつけられなくて、最初のうちは読みにくかったです)。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(1件)

タイトル (本文) ブログ名/日時
【科学を語るとはどういうことか 科学者、哲学者にモノ申す 須田靖・伊勢田哲治著 河出ブックス】
本屋で見かけて面白そうだと立ち読みしたら一気に引き込まれてしまい、買ってしまいました。 ...続きを見る
三余亭
2013/06/15 00:25

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(0件)

内 容 ニックネーム/日時

コメントする help

ニックネーム
本 文
【赤を見る 感覚の進化と意識の存在理由 ニコラス・ハンフリー著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店】 三余亭/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる