臓器の謝礼「売買ではない」?
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作成日時 : 2007/06/02 14:34
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少し古くなったのですが、読売新聞から、臓器の謝礼「売買ではない」、国際シンポで比代表が強調
フィリピン政府が腎臓売買を事実上公認する制度の導入を検討していることを受け、九州大学(福岡市)で27日、臓器売買をめぐる国際シンポジウムが開かれた。
出席した同国関係者は「提供者に渡る謝礼は売買に当たらない」と制度案の正当性を強調した。
新制度案は、移植を受けることを希望する外国人に、自分の手術代以外に、提供者への生活支援費や別のフィリピン人患者の移植費用を負担させる内容。外国人の医療費を一元管理し、ブローカーの介在が指摘される水面下の腎臓売買の一掃を目指している。
シンポジウムには、タイ、インドの医師や倫理学者らも参加し、経済格差に起因する腎臓売買問題を議論した。粟屋剛・岡山大学大学院教授(生命倫理)は、「患者から直接、提供者に謝礼が渡らないとしても、日本人がこの制度に沿って移植した場合、国内外を問わず臓器売買を禁じる日本の臓器移植法に抵触しかねない」と指摘した。
このほか最終討議では、フィリピン人の倫理観に変化が生じて謝礼目的の腎提供がさらに増える可能性を懸念する声があがった。だが、フィリピン国立腎臓・移植研究所のエンリケ・オナ所長は「成功すれば、生体腎移植をめぐる(水面下の)売買を一掃できる」と反論した。
(2007年5月27日20時41分 読売新聞)
売買の定義ですが、Wikipediaでは、売買(ばいばい)は、売り買いのことである。この際、契約が成立する。もっとも身近な契約のひとつである。
民法第555条では「売買は、当事者の一方がある財産権を相手方に移転することを約し、相手方がこれに対してその代金を支払うことを約することによって、その効力を生ずる。」と規定している。最低限の要素として、売買の目的物および代金額が定まっている、あるいは何らかの方法によって定まることが必要である。
以上から、売買とは金銭を対価として財産権を移転する諾成、双務、有償の契約であるといえる。
腎臓を提供して謝礼をもらう契約をすることは売買のように思えてきます。物を売って得たお金をどう使おうとそれは売った人の自由であるのは普通の売買契約でも当然でしょう。そうすると、腎臓のレシピエントからのお金の使い道に制限を加えたところで、それはやはり売買ではないか、と思います。いろいろ考えると、売買じゃないと主張するのは無理ではないかと。
売買を認めてもあまりいいことなさそうだと思っているのは以前の通り。腎臓病で苦しんでいる方のためにはこちらに書いたように死後の臓器提供の義務化が良いのではないかと思っているのも以前の通り。
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