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zoom RSS 【「科学的」ってなんだ! 松井孝典・南伸坊著 ちくまプリマー新書】

<<   作成日時 : 2007/09/26 23:46   >>

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惑星物理学が御専門の松井氏とイラストレーターの南氏の対談。科学とはどういうものなのかということから始まり、日本の現状や人間の欲望などについても語り合っています。

書名が「科学的」ってなんだ!ということですから、科学について深い考察が展開されるのかと思いましたが、期待外れでした。

松井先生の考えが以下のように述べられています。
われわれは外界を脳の中に投影して内部モデルを作っている。それが認識とか、考えるとか、判断するとかの具体的なことですが、その外界を脳の内部に投影するときに、投影するルールが何かという問題がありますが、それに関わります。そのルールとして、自然科学は二元論と要素還元主義に基づいているということですね。
(中略)
ここでいう二元論というのは、人間と自然を分けて考えるということです。簡単に言えば、自然とは何なのかを考えるときに、「考えている自分とは何なのか」ということを、とりあえず棚上げして考えないようにしましょうということです。だって「自然とは何か」を考えようとしているのに、それを考えようとしている「この自分とは何なのか」なんて考えていたら、「自然とは何か」なんて考えられないじゃないですか。(中略)
要素還元主義というのは、たとえば「宇宙とは何か」といったって、宇宙は人によってそのイメージが違うし、あまりにも広大で、全体をいっぺんに考えようがない。(中略)だって宇宙といっても、たとえば太陽系なら太陽系も宇宙だし、銀河系も宇宙だし、銀河系みたいな星の集団がたくさんあるのも宇宙なわけです。それぞれを、たとえば「太陽系って何なの?」と問うていかなければ、「宇宙って何なの?」ということに答えられない。ただ、要素還元主義を誤解してならないのは、それだけで自然を理解できてるとは、誰も思っていないということです。自然科学者も、いつも部分だけ見ていればいいと思ってはいない。地球文明、あるいは地球環境といった問題を考えるときに、(中略)学の統合というようなことをやって、もう一度全体を見なければならない。 (p19-21)

科学というのは、いろいろ言い方があると思いますが、結局「外界を脳の中に投影するときの共通ルールといえます。つまり、私が外界を投影して脳の中に内部モデルを作る、それが科学的だということは「投影するルール」が、私であろうがAさんであろうがBさんであろうがCさんであろうが、みんな共通というのが重要な点です。その場合、議論可能な共通の内部モデルができて初めて、議論する対象である現象が「事実」ということになるんです。(中略)
科学というのは、そういう「共通性を持つ」ことなんです。それぞれの認識そのものは、一人称として認識している。一人称として認識するんだけど、ルールが同じだから、外界が投影された内部モデルを、そのコミュニティではみんなが共有できる。だから人類の歴史を通じて蓄積もされ、議論もでき、発展もするんですね。(p37-38)


科学とはどういうものか、どういう方法が科学的なのか、というのはこの程度触れているのみ。仮説演繹法とかアブダクションとか、なしです。

要素還元主義と二元論にもとづいて外界を脳の中に投影するときの共通ルールが科学である、とまとめられると思います。さて、熱力学は要素還元主義にもとづくと言えるのかどうか。巨視的な記述で要素還元とは言いにくい気がしますが。熱力学は当然科学ですが、要素還元主義を科学の条件にしてしまうと、少々都合が悪いのではないでしょうか。還元主義の解説はこちらでデカルトが絡んでますね。

二元論については、主体と客体の分離ということなのでしょう。共通性も客観的に議論できるという意味なのだと思います。客観性との関わりで理解すれば、これら2つは経験科学の要件としてよいのかなと思います。客観性といえば一言で済みますが。二元論という言葉は、脳科学で使われている二元論と紛らわしいので好きではありません。WikiPediaの心の哲学のところで詳しい解説があります。ここでもデカルト。

少し気になるところもありました。血液型と性格に関するところなのです。
大脳皮質の中のニューロンが、ある種電気回路みたいにどう接続するかという話と、血液中のある物質がどういう型なのかということは、本来まったく無関係なはずです。だから、性格と血液型に関係があるわけがないと思いますね。(p14)


血液型と性格の間に関連がない、というのは正しいのですが、その正しさの確認の方法がいただけません。松井先生の考えられた理屈の上で否定されていますが、赤血球に分化する骨髄幹細胞は脳にも入るらしいのです。共同通信社のページ札幌医大のPDFから。ということであれば、血液と脳との間に何ら関係があるかもしれない、という主張も、まあ一理あるわけです。

血液型と性格との間の関連は、人間が考えた理屈の上で否定されるものではなく、注意深く集められたデータから否定されるべきものであり、そこにこそ経験科学の強さがあると思います。理論物理学者が提出するモデルは実験で確認されて実際の世界を反映したものとなります。実験で確認されていない理論の提出だけではまだ仮説ではないでしょうか。松井先生の、その辺のお考えの詰めが甘い気がします。

他にも気になるところがありました。
南 レベルが下がった原因はなんだと思いですか?
松井 それはつきつめていけば、戦後の学校教育が失敗したということになるでしょう。(p93)

南 僕は戦後の、昭和22年の生まれなので知らないのですが、戦前はそういう教育方針てあったんですかね。
松井 私も昭和21年うまれなので知りませんが、たとえば文章でも何でも暗記させるとか、九九を覚えさせるとか、これは我慢を伴うものですよね。(p96)
戦前の教育を知らずに、戦後教育の失敗を語ってよいのでしょうか?力が抜けました。

40ページの科学の対象となる領域の話に関連して、
「意識」まで入って議論を始めてますからね。まったく手つかずというのはほとんど何も残ってないんじゃないですか。ただ、それぞれで発展段階はありますから。たとえばもっとずっと大きな学問分野として、生物学だって、学問としてはまだ普遍的な段階にはない。それを学問の発展段階で比較したら、ニュートン力学が発見される以前の物理学に近いと思います。そういう意味では、遅れている、という段階の違いはあるけれども、一応どんなことも対象にはしていますよね。(p40)


学問の発展段階の比較の方法が示されていないので、何とも言いようがありません。しかし、全く別の芸術表現である絵画と音楽を比べてどうのこうの言っているような違和感を感じます。本来比較できないものをあたかも比較できるように話しちゃっているのでないですか。23ページの松井先生の言葉を借りれば、「なんでそうなの?」「なんでそう考えたの?」「こうだから、と言うけど、それはどうしてそう思わなければならないの?」と聞いてみたいです。というか、南伸坊聞いてくれ。

なるほどと思うところがないわけではないのです。例えば、58ページからの「「空間が曲がる」は、本当は絵に描けない」、とか64ページ「ビッグバンを「爆発」と考えるからわからなくなる」とか、67ページの「科学を「喩え」で説明する限界」というところで話されている、数式でしか表現できない科学的概念を通俗的に説明することのごまかし、落とし穴というものは確かにその通りだと思います。

でも、全体を通して科学についての深い考察とは遠い印象。特に後半の話は科学と関係があまり無し。書名と中身に食い違いがあると受け取ってしまいました。残念です。同じちくまプリマー新書の「われわれはどこに行くのか」を読めばまたそれなりに違うのかもしれませんが、本書を読んだ後では読む気は起りません。

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【科学的に説明する技術 その仮説は本当に正しいか 福澤一吉著 サイエンス・アイ新書】
科学的成果ではなくその成果にいたるプロセスを知ることには、大きく3つの目的があります。第一の目的は何といっても、科学的な考え方の面白さを知ることです。(中略)第二の目的は、人間が世界をとらえようとするときに、私たちの思考はさまざまなことから自由ではないことを知ることです。(中略)第三の目的は、間接的目的ですが、科学的なものの考え方について知ることにより、振り返って、普段、私たちはどのようにして考えたり、意見を述べたりしているのかに気づくことです。(p4-5)と前書きで書かれているように、科... ...続きを見る
三余亭
2007/11/08 18:06
せいすいいえいこさんのコメントに
今まで忙しくって、何もレスポンスがなくてすいません。 せいすいえいこさんから、「歴史とは何か」にコメントをいただきまして、また、 【「科学的」ってなんだ! 松井孝典・南伸坊著 ちくまプリマー新書】にもまたコメントをいただきまして、ありがとうございます。 ...続きを見る
三余亭
2007/12/08 01:16
【科学を語るとはどういうことか 科学者、哲学者にモノ申す 須田靖・伊勢田哲治著 河出ブックス】
本屋で見かけて面白そうだと立ち読みしたら一気に引き込まれてしまい、買ってしまいました。 ...続きを見る
三余亭
2013/06/15 00:25

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内 容 ニックネーム/日時
先日、「歴史とは何か」の読書の項に、ウィキぺディア「史料批判」を見てみてください、と、書き込んだ者です。
「歴史とは何か」はかなり手軽に手にとれるとあってか、読まれている本ですので、その表題で検索して、書き込ませていただきましたが、再度来て見ましたら、読書の傾向に科学がいろいろ入ってくるので、また気になって書き込みさせていただきます。
グーグルで「せいすいえいこ」で検索すると、ウィキ利用者情報のところに、歴史学はニセモノやウソや間違いとの戦いの歴史である、宇宙から社会を見たらどのようなことが見えるだろうか、お金は通貨価値に関する数量情報であって、物質ではない、こういった内容の文章が載せてあります。
再々で申し訳ございませんが、もしよろしかったら、そちらも見てみていただけないでしょうか。
せいすいえいこ
2007/12/07 14:49

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