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惑星物理学が御専門の松井氏とイラストレーターの南氏の対談。科学とはどういうものなのかということから始まり、日本の現状や人間の欲望などについても語り合っています。 書名が「科学的」ってなんだ!ということですから、科学について深い考察が展開されるのかと思いましたが、期待外れでした。 松井先生の考えが以下のように述べられています。 われわれは外界を脳の中に投影して内部モデルを作っている。それが認識とか、考えるとか、判断するとかの具体的なことですが、その外界を脳の内部に投影するときに、投影するルールが何かという問題がありますが、それに関わります。そのルールとして、自然科学は二元論と要素還元主義に基づいているということですね。 科学とはどういうものか、どういう方法が科学的なのか、というのはこの程度触れているのみ。仮説演繹法とかアブダクションとか、なしです。 要素還元主義と二元論にもとづいて外界を脳の中に投影するときの共通ルールが科学である、とまとめられると思います。さて、熱力学は要素還元主義にもとづくと言えるのかどうか。巨視的な記述で要素還元とは言いにくい気がしますが。熱力学は当然科学ですが、要素還元主義を科学の条件にしてしまうと、少々都合が悪いのではないでしょうか。還元主義の解説はこちらで。デカルトが絡んでますね。 二元論については、主体と客体の分離ということなのでしょう。共通性も客観的に議論できるという意味なのだと思います。客観性との関わりで理解すれば、これら2つは経験科学の要件としてよいのかなと思います。客観性といえば一言で済みますが。二元論という言葉は、脳科学で使われている二元論と紛らわしいので好きではありません。WikiPediaの心の哲学のところで詳しい解説があります。ここでもデカルト。 少し気になるところもありました。血液型と性格に関するところなのです。 大脳皮質の中のニューロンが、ある種電気回路みたいにどう接続するかという話と、血液中のある物質がどういう型なのかということは、本来まったく無関係なはずです。だから、性格と血液型に関係があるわけがないと思いますね。(p14) 血液型と性格の間に関連がない、というのは正しいのですが、その正しさの確認の方法がいただけません。松井先生の考えられた理屈の上で否定されていますが、赤血球に分化する骨髄幹細胞は脳にも入るらしいのです。共同通信社のページと札幌医大のPDFから。ということであれば、血液と脳との間に何ら関係があるかもしれない、という主張も、まあ一理あるわけです。 血液型と性格との間の関連は、人間が考えた理屈の上で否定されるものではなく、注意深く集められたデータから否定されるべきものであり、そこにこそ経験科学の強さがあると思います。理論物理学者が提出するモデルは実験で確認されて実際の世界を反映したものとなります。実験で確認されていない理論の提出だけではまだ仮説ではないでしょうか。松井先生の、その辺のお考えの詰めが甘い気がします。 他にも気になるところがありました。 南 レベルが下がった原因はなんだと思いですか?戦前の教育を知らずに、戦後教育の失敗を語ってよいのでしょうか?力が抜けました。 40ページの科学の対象となる領域の話に関連して、 「意識」まで入って議論を始めてますからね。まったく手つかずというのはほとんど何も残ってないんじゃないですか。ただ、それぞれで発展段階はありますから。たとえばもっとずっと大きな学問分野として、生物学だって、学問としてはまだ普遍的な段階にはない。それを学問の発展段階で比較したら、ニュートン力学が発見される以前の物理学に近いと思います。そういう意味では、遅れている、という段階の違いはあるけれども、一応どんなことも対象にはしていますよね。(p40) 学問の発展段階の比較の方法が示されていないので、何とも言いようがありません。しかし、全く別の芸術表現である絵画と音楽を比べてどうのこうの言っているような違和感を感じます。本来比較できないものをあたかも比較できるように話しちゃっているのでないですか。23ページの松井先生の言葉を借りれば、「なんでそうなの?」「なんでそう考えたの?」「こうだから、と言うけど、それはどうしてそう思わなければならないの?」と聞いてみたいです。というか、南伸坊聞いてくれ。 なるほどと思うところがないわけではないのです。例えば、58ページからの「「空間が曲がる」は、本当は絵に描けない」、とか64ページ「ビッグバンを「爆発」と考えるからわからなくなる」とか、67ページの「科学を「喩え」で説明する限界」というところで話されている、数式でしか表現できない科学的概念を通俗的に説明することのごまかし、落とし穴というものは確かにその通りだと思います。 でも、全体を通して科学についての深い考察とは遠い印象。特に後半の話は科学と関係があまり無し。書名と中身に食い違いがあると受け取ってしまいました。残念です。同じちくまプリマー新書の「われわれはどこに行くのか」を読めばまたそれなりに違うのかもしれませんが、本書を読んだ後では読む気は起りません。 |
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【科学的に説明する技術 その仮説は本当に正しいか 福澤一吉著 サイエンス・アイ新書】
科学的成果ではなくその成果にいたるプロセスを知ることには、大きく3つの目的があります。第一の目的は何といっても、科学的な考え方の面白さを知ることです。(中略)第二の目的は、人間が世界をとらえようとするときに、私たちの思考はさまざまなことから自由ではないことを知ることです。(中略)第三の目的は、間接的目的ですが、科学的なものの考え方について知ることにより、振り返って、普段、私たちはどのようにして考えたり、意見を述べたりしているのかに気づくことです。(p4-5)と前書きで書かれているように、科... ...続きを見る |
三余亭 2007/11/08 18:06 |
せいすいいえいこさんのコメントに
今まで忙しくって、何もレスポンスがなくてすいません。 せいすいえいこさんから、「歴史とは何か」にコメントをいただきまして、また、 【「科学的」ってなんだ! 松井孝典・南伸坊著 ちくまプリマー新書】にもまたコメントをいただきまして、ありがとうございます。 ...続きを見る |
三余亭 2007/12/08 01:16 |
| 内 容 | ニックネーム/日時 |
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先日、「歴史とは何か」の読書の項に、ウィキぺディア「史料批判」を見てみてください、と、書き込んだ者です。 |
せいすいえいこ 2007/12/07 14:49 |
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