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zoom RSS 【サヨナラ、学校化社会 上野千鶴子著 ちくま文庫】

<<   作成日時 : 2008/10/31 02:22   >>

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上野千鶴子さんが東大に移った時は、「東大卒業じゃないのに東大の教授になった」と随分と騒がれたような記憶があります。大分昔の話で、何か資料を見つけたわけではなく、記憶だけが頼りですから、間違っているかもしれないのですが。2002年に単行本で太郎次郎社からでて、このたびちくま文庫に入りました。

東大の教授で、でも「偏差値四流校(p15)(注 これは当事者の若者自身が自分たちの学校をこう呼んでいたそうです)」で教鞭をとったことのある経験や、自分の経験などから、「偏差値の呪縛から自分を解放し、自分が気持ちいいと思えることを自分で探り当てながら、将来のためではなく現在をせいいっぱい楽しく生きる。私からのメッセージはこれにつきるでしょう。(p208)」という本。

学校化社会とは偏差値の呪縛だけではなくて、
学校的価値とは、あすのために今日のがまんをするという「未来志向」と「ガンバリズム」、そして「偏差値一元主義」です、だから学校はつまらないところです。(中略)
その学校的価値が学校空間からあふれ出し、にじみ出し、それ以外の社会にも浸透していった。これを「学校化社会」と言います。(中略)(p66)
未来志向やガンバリズムは、もう生活の一部ですね。将来のことを考えて貯金、将来のための教育、将来のための節約などなど、未来志向そのものです。と考えますと、未来志向が悪いわけではなく、偏差値一元主義を支える未来志向が悪い、ということなのだと思いますが。ガンバリズムについては、頑張ったってどうなることでもないことがたくさんあるので、行き過ぎたガンバリズムはそれだけで悪いといっていいでしょう。

さて、そういう学校化社会がなぜ悪いのか。著者によると、
子どもというものは、自分の生存戦略を学んでいくものです。こちらが具合が悪ければ、あちらに逃げ道があると思っておばあちゃんのところへ行くのです。大人は一枚岩ではないのだ、いろいろな価値観があるのだ、親の言うことが絶対でも教師だけが正しいのでもない、教師のもとで居心地が悪ければ、用務員のおじさんの所や養護の先生のところへ行けば別の空間があるんだと、子どもたちは自分の生存戦略を水から見出していく生き物です。
ところがそれを八方ふさがりにして、子どもの退路を断つことを、大人が寄ってたかってやっている。自分と違うことをいう大人が子どものまわりにいてやったほうがいいとは、大人は思わなくなってきている。(中略)
そういう現象を、学校化社会、学校的価値の一元化と呼ぶのですが、このような価値の一元化のもとでの優勝劣敗主義が、一方で敗者の不満、他方で勝者の不安という、負け組にも勝ち組にも大きなストレスを生むのだとしたら、このシステムの中では勝者になろうが敗者になろうが、誰もハッピーにはなっていません。
学校化社会とは、だれも幸せにしないシステムだということになります。(p76)
敗者の不満はわかりますが、勝者の不安とは「この一回の競争では勝てたけれども、つぎの競争で勝ち続けることができる保証はない、という「勝者の不安」(p60)」。

そういう学校化社会は、個人の自尊感情・自己肯定感を奪うといいます。
他人の価値を内面化せず、自分で自分を受け入れることを「自尊感情」といいます。オウム(注 オウム真理教)の若者たちは、この自尊感情を奪われた若者たちでした。
ならば自尊感情はだれが植え付けてくれるのか。他人から尊重された経験のない人は自尊感情を持てない―これはフェミニズムがずっと言ってきたことでした。エリートたちが育った学校は、彼らの自尊感情を根こぎにした場所でもありました。学校が自尊感情を奪うのは、劣位者だけからとは限りません。学校は優位者に対しても、彼らの人生を何かの目的のための単なる手段に変えることで、条件付きでない自尊感情を育てることを不可能にする場所なのです。(p224−225)
自分の人生が偏差値抜きでは他人から尊重されない、今の自分の人生は偏差値を上げるために過ごす、ということの結果、成績優秀者も偏差値抜きでの自己肯定感が得られないということなのでしょう。

子どもの自尊感情がないと、いろいろと問題が起きるようで、別の本からの引用になりますが、「この気持ち(自尊感情や自己肯定感)がしっかり育まれていないと、しつけやルールがうまく身につかなかったり、勉強に集中できなかったり、あるいは、外見的にはちゃんとやっているようでも、本人はとても強い不安や緊張の中で過ごしていて、それが、大きくなるにつれて、心身症や非行という形で出てくることがあります。 【忙しいパパのための子育てハッピーアドバイス】(p23)」条件の付かない自尊感情を持たなければ(持たせなければ)いけません。

では、学校化社会の否定的な影響をどう乗り越えるか。著者は「授業で生存戦略、教えます」という章で、偏差値四流校の学生にフィールドワークを教えることで、「どんな状況にあっても生きていける知恵を身につけさせる(p153)」過程を紹介しています。KJ法を利用したフィールドワークは、受講した学生に「偏差値コンプレックスから解消された(p173)」と言わしめたとのことで、自尊感情を持たせることに成功したようです。また、東大でもフィールドワークを行うことで、「予想外だったのは「達成」の意味が変わったことです。人とくらべて上だとか下だとかということではなくて、自分が以前に比べてどれだけバージョンアップしたか、が達成の基準になったのです。(p175)」

フィールドワークの何が良かったか、「情報生産のノウハウを伝える(p154)」ことで偏差値四流校の学生は「頭の使い方、覚えたわ(p161)」、東大の学生は「発見や知的生産とは、集めてきた断片的な情報のなかからジグソーパズルの絵柄がだんだん見えてきて、あるときその最後のピースがスパッとはまって「そうだったのか!」というような、すごい快感をもたらすものです。問いを立てた当人がそれを自力でやり遂げて、その人に見える地平がどんどん広がっていくのが、外から見ていてもわかるのです。(p175−176)」

自分で立てた問いに自分で答えを出せる自信がつく、ということは凄いことです。この章は大変楽しく読めました。

最終章「ポストモダンの生き方探し」に書かれてある「フリーター的人生には先々の保障がない、と言われてきました。アリとキリギリスの例を引いて、今を楽しく生きようとすることは、道徳の面からもおとしめられてきました。しかし、この不況のおかげで将来の保障は今やだれにもなくなっています。(中略)そうなればだれにも「現在」の価値を見直す気持ちが生まれてきます。とてもステキなことではありませんか。(p236−237)」といったフリーター的生き方を肯定する部分は、今の経済状況や、格差社会の問題などからすると、当のフリーターの方々からどう受け取られるか微妙なところかもしれません。しかし、著者の「現在決済システムへの転換と、同一労働・同一賃金原則が確立すれば、労働者はジョブ・カテゴリーのあいだを自由に動けるようになります。(p215−216)」という考えは、週刊東洋経済2008年10月25日号(特集 家族崩壊)で提言された、「第一に非正規の待遇を向上させること。第二に正社員の解雇規制を緩和すると同時に長時間労働などの拘束を弱めること。第三に失業給付などセーフティネットを手厚くして職業能力開発とセットにすることだ。(p51)」と重なる部分があると思えて、現在の格差社会が問題となった状況でもそれなりに通用するのかもしれないと思います。

学力テストの結果を発表するとかしないとかもめていますが、これも学校化社会が引き起こす現象なのでしょう。基礎的学力がないと確かに困ると思います。しかし、それ以外の価値観や評価基準もあるわけです。一つの価値観や評価基準ばかりを強調するといろいろと弊害が起こりうる、ということは心にとめておいたほうがよさそうです。

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