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zoom RSS 臓器売買で臓器移植は増えるのか?

<<   作成日時 : 2009/02/11 06:14   >>

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しばらく臓器移植については考えていなかったので、何か目新しいことがいえるわけでもないのですが、NATROMさんの臓器売買は容認できるかからトラックバックをいただいたので、最近読んだ本で知ったことも絡めながら考えてみます。

おさらいですが、臓器移植については、以前にいろいろと書いております。
http://cuttlefish.at.webry.info/theme/e4b0528c37.html
http://cuttlefish.at.webry.info/theme/2962b27f3a.html

臓器移植に金銭が絡むことについて、halさんから
素朴な反感はさておき、移植があってもよいと思うのであれば、そこに金銭授受が介在する(もしくは介在させる)メリットとデメリットを考えてみる必要もあるかと思います。
とコメントをいただき、書いたブログが
http://cuttlefish.at.webry.info/200605/article_11.html
3年近く前のことになります。今回の文章も結論は前回と同じですが、議論を支える傍証が増えたということで。

改めて考えてみたいことは、臓器売買を公的に管理して臓器提供が増えるのか?ということ。臓器提供が増えなきゃ何の意味もありません。「現実にある臓器売買での弱者救済をするために臓器売買の公的管理を!」という主張もあるのでしょうが、「臓器移植は病気の治療であり、弱者救済は別のところでやってくれ」と思います。

一見関係なさそうな話になるのですが。現在読んでいる最中の本に「予想通りに不合理 ダン・アリエリー著 熊谷淳子訳 早川書房」と「人を伸ばす力 内発と自律のすすめ エドワード・L・デシ、リチャード・フラスト著 桜井茂男監訳 新曜者」があります。まだ途中だし、全部読み終わるかどうかもはっきりしないのだけれども、その2冊にお金について興味深いことが書かれています。

「予想通りに不合理」から
社会規範は、わたしたちの社交性や共同体の必要性と切っても切れない関係にある。たいていほのぼのとしている。即座にお返しをする必要はない。あなたが隣人のソファーを運ぶのを手伝ったとしても、ただちに隣人がやってきてあなたのソファーを運ばなければいけないわけではない。(中略)どちらもいい気分になり、すぐにお返しをする必要ない。
ふたつめの世界、市場規範に支配された世界はまったくちがう。ほのぼのとしたものは何もない。賃金、価格、賃貸料、利息、費用便益など、やりとりはシビアだ。このような市場のかかわりあいがかならずしも悪いとか卑劣だというわけではない。市場規範には、独立独歩、独創性、個人主義も含まれるが、対等な利益や迅速な支払いという意味合いもある。市場規範の中にいるときは、支払った分に見合うものが手に入る。(p105−106)
金の絡まない人間関係、金の絡む人間関係、それぞれ別のものです。「友人から金を借りるな」という言葉も、社会規範の世界の人間関係と市場規範の人間関係は違うということを言っているのでしょう。

引き続き、「予想通りに不合理」から
人々がお金のためより信条のために熱心に働くことを示す例はたくさんある。たとえば、数年前、全米退職者協会は複数の弁護士に声をかけ、一時間当たり30ドル程度の低価格で、困窮している退職者の相談に乗ってくれないかと依頼した。弁護士たちは断った。しかし、その後、全米退職者協会のプログラム責任者はすばらしいアイディアを思いついた。困窮している退職者の相談に無報酬で乗ってくれないかと依頼したのだ。すると、圧倒的多数の弁護士が引き受けると答えた。
どういうことだろう。(中略)じつは、お金の話が出たとき、弁護士たちは市場規範を適用したため、市場での収入に比べてこの提示金額では足りないと考えた。ところが、お金の話抜きで頼まれると、社会規範を適用し、進んで自分の時間を割く気になった。(p109)
金銭を介在させなくとも、専門家が人助けしてくれるという話。引き受ける仕事の量が問題になってくるとは思いますが、お金が絡むと人間関係ががらりと変わることがよくわかります。

「人を伸ばす」から
明らかに金銭は強力な力を持っている。それが人を動機づけるということは疑う余地もない。(中略)人は金銭によって動機づけられる一方で、内発的動機づけが低められ、後述するように様々なマイナスの影響がもたらされるという点を問題にしたいのである。(p35)
一番の問題は、報酬によって人は多くの活動に対して興味を失ってしまうことである。つまり、その活動を金銭という報酬を得るための単なる手段としてしか見なくなり、その活動に対してかつて抱いていた興奮や熱意を失ってしまうのである。(p37−38)
こちらは心理学の観点からですが、同じようなことですね。

さて、臓器移植に金銭を絡めるとどうなるか?この2冊に書いてあることから考えれば、死後の移植であっても、「臓器提供?こんな安い金じゃいやだ」「金のために臓器提供したなんて思われたら嫌だから提供しない!」「家族の死体を売って金を稼ぐなんて、とんでもない」という反応が多くなるのでしょうね。
臓器移植を推進する活動にも水を差しそうです。「臓器提供が増えない?金で解決すればいいじゃん」

さて結論、「臓器売買を公的に管理して臓器提供が増えるのか?」という質問には、「増えないと思う」と答えておきます。

最後に、ピーター・シンガーが「実践の倫理 新版 昭和堂」の中で中絶胎児の売買について触れていたところを引用(前に書いたブログでも引用してます)。

私は胎児組織の利用を促進したいと思っているが、胎児組織の自由な売買を認めることには大いに抵抗を感じる。それは、女性が市場における搾取から自分自身を守れないと考えるからではない。事実、胎児組織の自由な売買が、もっとありふれた雇用形態において認められているよりもひどい搾取形態であるとは私には思えない。私が胎児組織の自由な売買という考えを嫌うのは、むしろR・ M・ティトマスが医療目的の血液供給について数年前に論じたように、我々が利他主義にもとづく社会政策と市場にもとづく社会政策との間で選択するとき、我々は異なった二つのタイプの社会の間で選択しているのだという理由による。さまざまな理由から、我々の社会にはお金では買えないものがあったほうがよいのである.。すなわち、愛する人の利他心に、それどころか見知らぬ他人の利他心にさえ我々が頼らなければならないような、そんな状況が我々の社会にはあったほうがよいのである。私は商業主義が生活のあらゆる面にはびこることに抵抗する努力を支持しているのであり、したがって、胎児組織の商業化には抵抗するだろう。(p203)

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