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zoom RSS 【科学の世界と心の哲学 小林道夫著 中公新書】

<<   作成日時 : 2009/04/01 06:47   >>

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デカルトの哲学が心の哲学でも重要だ、ということのようです。でも、どうでしょうか。

第一部と第二部に分かれており、第一部ではデカルトとガリレオが、それまでのアリストテレスの自然学をどのように解体して科学を作り上げたかが書かれています。第二部では心の哲学での議論にデカルトの哲学を援用して議論しています。第一部に書かれていることについては、同じ著者の「哲学教科書シリーズ 科学哲学 産業図書」の方が詳しくていいかもしれません。

第一部では、ガリレオやデカルトによる「科学革命(p14)」がおこり、科学的知識の基本的規範として、「数量化された事実(p35)」を対象とし、「もろもろの事実を、数学の体系(「数学の記号体系」)のもとで説明しようとするもの(p37)」であり、「実験による理論の審議判定を要求する(p48)」ということが解説されています。
そのような規範があるものですから、「近現代の科学は、その基本的規範そのものによって、われわれが日常の環境世界にあって直接的に知覚経験することの多くの面を捨象するものなのである。したがって、科学に、そのような面の説明を要求するのは、そもそも筋違いということになる。(p76)」
納得できることです。

という流れで第二部では心の哲学を扱うのですが、第二部は読みにくく感じました。理由の一つは、デカルトが好意的に扱われることがこの領域ではあまりないのに本書では好意的に扱っていることがあるでしょう。

著者も書いているように、
現代の哲学の世界、とりわけアメリカの哲学界では、心の哲学というものが、大きな領域を占めるに至っている。そこでは、まず「デカルトの心身の二元論」が取り上げられ、「実体としての心」の説が検討される。そしてたいてい、「心」を「物体から独立な実体」とするというのは、現在大きな影響を行使している「物理主義」や「自然主義」のもとで、悪い意味で「形而上学的」、場合によっては「神秘主義」と裁断されてしまうのである。(p82)


読みにくいとばかり言ってもいられず、がんばってみます。

「非物体的である精神が、物体にほかならない身体といかに作用し合うのか(p101)」という問題に対するデカルトの回答が、
精神と身体とのあいだの二元論とは独立に、それとまったく異質な事態として、心身の直接的合一(「心身合一」)を認め、その合一自体は、「日常の生と交わりを行使することによってのみ」知られる「原始的概念(それ自身によって以外は知られない概念)」であるというものである。(p102)

自分で手を動かそうと思って動かしてみれば精神と身体の作用がわかるし、それ以外の方法はないですよ、ということなのですが。
それはその通りなのだけれども、ジェグオン・キムによる
たとえば、「痛み」が「恐れ」の感覚を引き起こすという、二つの心的出来事のあいだの関係は、痛みMが、ある脳状態Pに付随し、この脳状態Pがもう一つの脳状態P*を引き起こし、この第二の脳状態P*の生起に付随して「恐れ」の感覚M*が生じるということにある。このとき、「痛み」と「恐れ」の感覚という二つの出来事のあいだには、PからP*へという唯一の因果過程があるだけである。このように、マクロなレヴェルの心的性質が因果的効力を持つと考えられるのは、それが、それ自身が因果的効力を持つ(神経生理学の)ミクロ物理学の法則的メカニズムに付随することによってであると考えるのである。(p161)」
という説明の方が、私はすんなり受け入れられます。

著者の反論は
これでは、「私が(腕を動かすことを)意志して動かす」ということが含む因果的効力とは、実のところ、ミクロ物理学(神経生理学)レヴェルでの因果関係のことであり、私自身が「実感」としてもっている、「私が腕を動かすのだ」ということは、それ自身、実在的因果を持たない、物理的レヴェルに付随するだけのことになってしまう。これに対しては、「私が腕を動かす」というのは、あくまで、「この意識を持った私が腕を動かす」ということであり、「この私の行為を、私には意識されないミクロの神経生理学のレヴェルの出来事のせいにすることなどできない」と反論できる。(p162)

とはいうものの、http://www.asahi.com/science/update/0331/TKY200903310318.html
などにあるように、脳波と脳血流でロボットが動かせたなら、それは「右手を意志して動かす」という私の心が物理レベルの因果関係でロボットを動かしたことになります。神経生理学での説明がかなり確実性を持ってくることになります。

著者はばりばりの科学的実在論者です。「当然、素粒子や場といった「理論的存在」が「実在するもの」として究明されてきたのである。そうして、科学的対象の実在性は、われわれの主観的知覚認識からますます乖離することになったのである。(p62)」

その言葉の通り、科学的対象となる”心”は日常常識を越えてきたのではないでしょうか。そして、そういう”心”は著者の立場では確かに実在するのだ、ということになるのではないでしょうか。

いずれも講談社現代新書の「ロボットの心 柴田正良著」「考える脳・考えない脳 信原幸弘著」や「赤を見る ニコラス・ハンフリー著 柴田裕之訳 紀伊國屋書店」なども同分野の本でおもしろく読めます。それらを踏まえると、著者のデカルト礼賛は少し無理筋かなと。

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【科学を語るとはどういうことか 科学者、哲学者にモノ申す 須田靖・伊勢田哲治著 河出ブックス】
本屋で見かけて面白そうだと立ち読みしたら一気に引き込まれてしまい、買ってしまいました。 ...続きを見る
三余亭
2013/06/15 00:25

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