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zoom RSS 【分類思考の世界 なぜヒトは万物を「種」に分けるのか 三中信宏著 講談社現代新書】

<<   作成日時 : 2009/10/28 05:38   >>

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【系統樹思考の世界】の著者による講談社現代新書の第2弾。前著のエピローグを読み直すと、「進化学や系統樹にとって、「存在」を論じることはきわめて重要だと私は考えています。たとえば、「種」が実在すると言い切っていいのかどうかという問題は、まさに形而上学の問題です。本書ではほとんど触れることができなかったこの「種問題(the species problem)」は、それが生物学の問題であることを超越して、形而上学の問題だったからこそ、いまだに解決していないわけです。(系統樹思考の世界 p258)」と書かれていました。この「種問題」について書かれたのが【分類思考の世界】。

前半では「種カテゴリー」や「種タクソン」についての議論が紹介されています。「種タクソン」とは、たとえばHomo sapiens、「分類体系を構成する単位すなわち個々の種や属や科などの分類群(p55)」。これらの種タクソンの集合が「種カテゴリー」。種タクソンにまつわる議論でやっかいなのが、「それらの種タクソンが「ほんとうにある」かどうかである。(p60)」という「存在の問題(p60)」。「ある種タクソンは特定の条件を満たす生物個体の集合とみなすべきなのか。それとも種タクソンはひとつの統一された全体として実在していて、個々の生物個体はその全体を構成する部分とみなされるべきか。(p42)」

存在の問題といえば「存在者とされるということは、掛け値なしに言って、変更の値とみなされることである。伝統的文法のカテゴリーを用いて言い直せば、これは、ほぼ、あるということは代名詞の指示の範囲にあることであるとなる。(論理的観点から W.V.O.クワイン著 飯田隆訳 勁草書房 p19)」としたクワインの「なにがあるのかについて」を読み直すと、
雑交受精可能な動物種があるとわれわれが言うとき、われわれは、複数の種自体を、抽象的であるにもかかわらず、存在者として認めることにコミットしている。少なくとも、この言明を書き換えて、束縛変項が種を指示しているという外見が、実は使わずにも済ませられる語り口からくるものであると示せるまでは、われわれはこうしたコミットメントを持つことになる(p19−20)

クワインによれば、代名詞に指示されるものとして種があるなら、指示されるものから種を外すことができないなら、種を存在者として認めることになるわけです。

「使わずにも済ませられる」なら存在者として認めないという方針となれば、「現代の進化生物学では、生物の集団に関する形而上学的な論議が生じることはほとんどない。その理由は、種や高次分類群が実在するかどうかという存在論よりも、ある進化過程を担う生物集団は何かというプロセスに注目した問題設定がなされているからだろう。(p111−112)」ということですから、進化生物学は種タクソンを理論に含まなくてもすむわけで、種タクソンの存在には冷淡になる傾向があるのでしょう。クワインの話を踏まえるとよく分かります。分類学では種タクソンに触れないわけにはいかないでしょうから、その存在論でもめるのもよくわかります。

横道にそれるのだけれど、解剖学と分類学は似ていると感じました。歴史の古さ、現在の予算面での扱われ方、等々。他にもあって、養老孟司氏の著書からの引用ですが
「系統解剖学という、あのややこしい代物が何か、何となく分かってくる。あれは錯綜する解剖学上の知識を整理するために、先人が案出したものに他ならないのであろう。(ヒトの見方 養老孟司著 ちくま文庫 p77)」

「可視の世界では必ずしも事実の間に脈絡はない。存在がまずあって、眼に見えてしまう。事実の「意味」のほうが後追いをすることも多いのである。
解剖学が科学として厭がられる点は、多分この辺にある。理論や筋道が必ずしも先行せず、先に物がとび出す。(p79)」

それぞれ本書で対応するところは、
「たくさんの対象物をひとつひとつ覚えられるほど、私たちの大脳は性能がよくない。ばらばらの対象物を少数のグループ(群)に分類して整理することによって、はじめて記憶と思考の節約ができる。(分類思考の世界 p33)」

「カモノハシはきれいに分類できなかったということだ。これは、分類することを生業とする分類学者達にしてみれば耐え難い屈辱である。(p48)」
膨大な知識の整理のための学問であり、目の前の物をどうにかしなくちゃいけない学問である、解剖学と分類学。

「「分類」や「種」をめぐる問題に対する最終的な解決を本書で目指したわけではない。(p301 あとがき)」とありますが、「種問題」に対する著者の結論が書かれていないわけではありません。
「生命の樹」そのものを指すユニークかつ究極的な時空ワームただ一つを仮定すればそれで十分だろうというのが私の立場である。この究極的ワーム以外のすべての時空ワーム(「種」はその代表)は恣意的な断片に過ぎないから、形而上学的にはもう必要ないということだ。(p254)
と結論づけているようですし、2ページ目には「時空ワームの愛する断片に本書を捧ぐ」とありますから、この究極的ワームが著者の考えを理解するキーポイントなのでしょう。なお、時空ワームとは「時空ワームというのは「時間軸を含む四次元空間に広がる”もの”であり、私たちが実際に目にするのは、その時間的部分としての「三次元断面」である。(p252−253)」253ページに掲載されている1936年のH.J.Lamによる概念図がわかりやすいです。この辺を読むと、「種は実在しない」というのが著者の考えじゃないのかなと思えてきます。

しかし「種問題」は解決しそうにない、というのが本書の結論。というのも、
進化的思考は、存在論的本質主義はもちろんのこと、心理的本質主義とも根本的に対立する考え方である。この世界が離散的な自然種から構成されているという本質主義的世界観は、対象物間に由来によるつながりがあり相互に移行すると見なす進化的世界観とは両立しない。(p269)

しかし、現代のサイエンスがどのような新しい世界観を私たちに示そうが、私たちにもともと深く染みついているものの見方までかき消すことはできない。(p269)

「種タクソン実在論」は生得的な心理的本質主義に支えられて、つねに私たちとともにある。「種はある」というこの実在論的立場は、それに対置される「種はない」という唯名論的なスタンスと比べて、リクツを並べるまでもなく受け入れやすいという点でははるかに強固かもしれない。(p136)

これらの主張については【系統樹思考の世界】のエピローグにある、「たとえ、進化的思考がリクツの上で本質主義は間違いである(「種は実在しない」)と主張したとしても、肉体化された心理的本質主義はその逆(「種は実在する」)を心情的に支持しているからです。(系統樹思考の世界 p260)」という文章が、よりわかりやすいと思います。

究極的ワームという答えを示しながら「心理的本質主義はけっしてたやすく除霊できるわけではない。(p274)」し、「進化的思考者を自任している私でさえ、自分が心理的本質主義者であることを否定しているわけではない。(p269)」とも書いた著者が達した”境地”が
「分類する者」がどのような認知バイアスをもったまなざしで自然や生物を見ようとしてきたのかについてもっと考えるべきではないだろうか。そのとき、「種」は、「分類される物」の側にあるのではなく、ほかならない「分類する者」の側にあるのだということが理解されるようになるだろう。(p295)

構成主義のようなことを言ってるのかなぁ。
”我々は一貫性が無く、そんな我々が分類するからいろいろともめるのだ”というレベルですむ主張と読むか、構成主義にまで踏み込んだ主張と読むか。深読みしすぎかなぁ。

哲学から解剖学まで、今まで読んできた本を引っ張り出しながら、こんなところと関係しそう、こんなところが似ている、など今までの経験と関連づけができるところが多く、楽しく読めました。

なお、【分類思考の世界】を読み終えた後に【系統樹思考の世界】のエピローグを読み直すと、まるで【分類思考の世界】の要約のよう。

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 種の本質は、生態学的秩序の中でその種が果たす役割を実現する原理的仕組み(自然法則的に客観的にきまっている)に基づいた生物的システムのことです。
 また、一つの機能を果たす基本の単位となるのが「存在物」であり、生物ならば、種。
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2009/10/30 15:46

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