三余亭

アクセスカウンタ

zoom RSS 【リバタリアン宣言 蔵研也著】【自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門 森村進著】

<<   作成日時 : 2007/04/23 01:27   >>

ブログ気持玉 0 / トラックバック 0 / コメント 2

今回は、「リバタリアン宣言 蔵研也著 朝日新書」と「自由はどこまで可能か リバタニアリズム入門 森村進著 講談社現代新書」の2冊を。

【リバタリアン宣言】は、国家による個人に対する後見主義的(パターナリスティック)な考えを「クニガキチント」の誤り(p38)とし、「個人の自由を尊重したほうが、一人一人の創意工夫が社会的に積み重ねられて経済成長も高くなり、結果的により豊かな社会になるのだと考える(p25)」リバタリアニズムについての入門書です。もう一冊の【自由はどこまで可能か リバタニアリズム入門】も入門書なのですが、リバタニアンが提唱する、法律、家族関係、政治などにも触れており、より広い範囲をカバーした入門書です。

【リバタリアン宣言】のまえがきにもあるように、「この本は、決して常識的な考えによって構成されていません。むしろ、非常識なショッキングなものも数多くあることでしょう。(p5)」とあるように、常識的とは言えない主張がされています。それは、【自由はどこまで可能か】も同様。

リバタリアニズムというのは、「精神的活動においても経済的な活動においても、最大限の自由を保障しようとします。(【リバタリアン宣言】p58)」ということです。そうすることで、今までの左派・右派とは異なった主張が展開されます。「資本主義体制や私有財産制度を肯定(【リバタリアン宣言】p58)」しますが、右派のように保守的な価値観はなく、「ナショナリズムもまた危険であるとみなします。(中略)リバタリアンは民族的な差別・区別は個人的な行動としては許されるが、国家のような強制権力内にはこれに反対する人が含まれる以上、国が伝統的民族主義などを教育することは少数者の自由の侵害であるとして、徹底的に糾弾します。(【リバタリアン宣言】p59)」個人が保守的な価値観を持っていても、それを広めるのに国が強制力を発揮するのには反対するわけです。「多くのリバタリアンとそのた多くのクニガキチントの保守主義者をわけるのは、これらの保守的な道徳律を政府を通じた強制力を使って、それを価値だと思わない人にまで押し付けるかどうかという点なのです。(p101【リバタリアン宣言】)」ということで、リバタニアリズムとは、国や政府についての考え方の一つと捉えられそうです。道徳の原理ではなく、政府のあり方の考え方なのでしょう。政治哲学とでもいうのでしょうか。リバタリアニズムと左翼・右翼(いわゆる保守派)などの関係については、ノラン・チャートが感覚的にわかりやすいと思います。

さて、どんな政策が展開されるのでしょうか。蔵氏は医療制度について、
(自由度)レベル2の社会(と蔵氏が名づけた社会)では、医者とはすなわち、現在のパソコン管理者としてのオラクルマスターやマイクロソフト認定資格者などと同じように、いくつかの民間認定機関が認定した医療技能を持つ個人をさすことになります。
もちろん、医療行為は高度に専門化されており、専門家ではない素人にはある医者の医療技術の信頼度ははっきりしないでしょう。
だからこそ、認定機関が重要なのです。民間の認定機関は、その認定医師が医療過誤を起こせば評価が下がります。複数の認定機関と格付け機関が、現在の都市銀行と企業格付け機関のように相互に競い合えば、最先端医療の現場意の医師への再教育にも熱心になります。(中略)
民間認定機関では、真に能力がない場合には医療の特定専門分野のエキスパートとは見あされません。また、認定をおこなう機関どうしが競争することによって、現在の国家資格よりもはるかに安全で信頼できる医師が大量に誕生するでしょう。(p73-75 )
国が介入してこないのですから、パソコン管理者と同じように民間団体から認定されることになるのでしょう。医師からしてみれば過激な意見なのですが、国会試験ではなく学会が認定する専門医試験の延長のようなものを考えれば、まあ、ありかもしれません。反発はものすごいでしょうけど。

さて、蔵氏はさらに、非加熱血液製剤でのHIV感染が起きた件を挙げて、国が加熱製剤の認可が遅れた点に触れて、
クニガキチントではなく、血友病の患者の一人一人が自分の責任で薬を選ぶべきなのです。
(中略)
算定があまりに専門的で難しい、あるいは医師が説明する時間がないのであれば、セカンドオピニオンを専門にする業者がいてもいいはずです。毎度のことですが、薬害エイズ事件によって薬品の認定をクニガキチントおこなうということは、それだけ医療制度をより複雑にし、税金を上げて、薬価な医薬品を制限し、暮らしにくい社会を選ぶと言うことに繋がってしまうのです。(p144)
と書かれており、最近のタミフルの件でもおそらく同じ主張をされるのでしょう。自分の責任で決めた方が、国に任せるよりも納得できる、ということなのでしょう。

税金の問題については、蔵氏は、
私は個人的には、原子力発電に関する研究には、税金を払いたくありません。(中略)原子力発電に使う膨大な科学技術研究費は、風力や太陽光によるクリーンエネルギーの予算に全面的に振り向けるべきだと思います。しかし現実には、私が税金を支払わないとするなら、国家は私を投獄することも可能なのです。(p103-104)
と書かれています。この部分を読むと、確かに自分の信条に反したことに強制的に取られた税金が使われるのは、問題があるようにも思えてきますし、一番本書で共感した部分でした。

【自由はどこまで可能か】では、臓器売買の自由や、リバタリアンの考える法体系(ラディカルなものでは、「刑罰や刑事裁判など刑事制度そのものの正当性を疑い、違法な行為への法的制裁を私法的な損害賠償(不法行為と契約違反の両方を含む)だけに限定(p90)」)、著作権・特許権もリバタニアリズムの立場からは認めにくいこと(政府から特権的に与えられている、一般の人が利用する自由を制限している、などの理由)、家族の問題(子供は例外でパターナリスティックな制限を受ける!)、など、少し細かな問題まで議論されています。

リバタリアニズムは著作権や特許権は認めにくいということには興味深いものがありました。著作権や特許権が認めにくいなら、リバタリアニズムの社会では特許や著作権による金銭的利益は莫大なものにはならない可能性が高いですから、富の不平等は今の市場経済よりは小さいかもしれない気はします。なら、市場経済にまかせっきりなら格差拡大して問題というのも、著作権や特許権を認めないことで一挙に解決できるのではないでしょうか。経済学者じゃないので本当のところはわからないので、憶測にしかすぎませんが。

また、森村氏は
自由権以外の権利を基本権として認めるかどうかは、リバタリアンの中でも見解が分かれる。一部の無政府主義者や最小国家論者はそれを一切認めようとしない。しかし古典的自由主義者は、自由権に加えて最小限度の請求権としての生存権を基本権の中に含めるだろう。誰にせよ、自分のせいでなしに極めて悲惨な生活を余儀なくされるべきではない。(p45)
と書かれています。

この生存権を認めるとすると、まずは市場主義に任せて、そこからこぼれた人を国が救済するという制度が考えられ宇野ですが、それは果たしてうまくいくのかどうか。それを考える上で、アメリカ合衆国の医療保険制度が参考になると思います。というのも、アメリカ合衆国は医療について公的保険がない国ですから医療の費用負担に関してはリバタリアニズムの主張に近いと考えて良いと思うからです。そのアメリカ合衆国ではホームレス捨てまで発生しているみたいですし、職を失ったとたんに無保険者になる悲劇は毎日新聞のサイトに詳しくあります。このようなことは生存権とのかかわりで考える必要があるのでしょう。自由を優先すべきか、生存権を優先すべきか。

そして保険会社の不正(これは最近の介護保険をめぐるコムスンやニチイ学館などの問題とも似ているかも)も起きている。また何より問題なのが、以下のように国民皆保険よりも国民一人当たりの負担が大きいらしいことです。こちらにあるように
市場原理の結果生じた医療保険制度のほころびを繕うための修復処置として公的医療保険が設立されたのだが,米国が公的医療保険の運営に投じている税額は国民1人当たり年額2306ドルに上り,これだけで日本の1人当たり医療費総額2130ドルを上回る。市場原理の果てに生じる「無保険社会」を是正せんと,公的医療保険という国家による是正処置を講じているのだが,公的保険に投じている税額の巨大さを見てもわかるように,米国の「二階建て」医療保険制度は,社会全体にとってべらぼうに高くつく制度となっているのである。しかも,巨額の税を投入しているにもかかわらず,無保険者が4060万人(=国民の7人に1人)と,市場原理から落ちこぼれてしまった人々を救済しきれずにいるのだから,医療保険制度を市場原理に委ねることの愚かさは明らかであろう。(原文には註あり。2001年のデータとのこと。)
と税金が医療費に占める割合が大きいようですから、効率的というのには疑問符がつけられても仕方ないのではないでしょうか。だからといって日本の制度が良いかというと、それは保険で認められていない薬剤が使用できないこともあって、全くの問題なしとは言えないのですが、それはこちらにあるように
混合診療解禁の論議では、巧妙に論点のすり替えが行われている。本当の問題は、必要な治療が保険診療に含まれていないという点にあり、混合診療が認められていないことではない。アメリカの高齢者救済のための公的医療保険「メディケア」では、「ある治療に保険を適用してほしい」という申請を、製薬会社・医療機関・患者の三者それぞれが行うことができる。このような制度を日本にも取り入れることができれば、「混合診療が必要だ」などという議論は起こらないはずである。

必要な治療、適切な治療は、保険で給付する。そのために、保険診療が時代遅れにならないような制度をつくる。そういったことこそ議論すべきなのであって、混合診療の解禁が是か非かなどという馬鹿げた論争は、もういいかげんに終わりにしてほしいものである。
その通りです。

医療の問題を考えると、必ずしもリバタニアリズムに賛成とは言えないのですが、それでもこの考え方は非常に魅力的です。まず一つは、税金の使い道に関して蔵氏が書いた
私は個人的には、原子力発電に関する研究には、税金を払いたくありません。(中略)原子力発電に使う膨大な科学技術研究費は、風力や太陽光によるクリーンエネルギーの予算に全面的に振り向けるべきだと思います。しかし現実には、私が税金を支払わないとするなら、国家は私を投獄することも可能なのです。(p103-104)
という部分に、私は非常に共感するからです。この本を読んだ後選挙がありましたが、私が支払った税金を裕福な老人の無料バス券などにして欲しくはないのに、収入に無関係に老人の無料バス券復活を公約にしていた市議だか道議だかの候補者が居て、大変むかついた経験があります。裕福な老人のためにそのようなことを税金を使ってするべきではないと私は思います。そんなことをしたいのなら、自分が寄付すれば良いのです。人の税金を使って困っていない人を助ける公約など掲げる候補者はまさしく税金泥棒、と思ってしまいました。(誤解のないように付け加えれば、税金を困っている人を助けるのに使うことはやぶさかではありません。収入の少ない老人の無料バス券は賛成です。)

また、リバタリアニズムでの国家のあり方を考えさせられると、現在の天下りの問題や、官製談合等々の官僚機構の問題も、そもそも国家を小さくすればなくなるのではないだろうかと思えてくる、というのもリバタリアニズムの魅力だと思います。

さらに、集団の意思統一が難しい問題は、全部個人の自由に任せてしまえば問題解決です。例えば、何を教えるかの問題も、最低限のレベルだけ国家が決め(語学・数学)、あとは自由にすれば、うるさい議論は不要です。歴史はどうだ、道徳はどうだ、科学はどうだ、などの一切の議論は不要で、個人の自由。ちなみに、語学と数学は蔵氏によると「一般に、知能心理学者の間では、語彙と論理によって構成される語学と、数的センスを扱う数学のみが検定されます。それらの能力のみが人間の知性の発露として扱われるのは、それらが人間の普遍的な能力を表していると考えられている(p86)」そうです。アナルコ・キャピタリスト(無政府資本主義者)の蔵氏とは違って、なんらかの国家はある方がましと、なんとなく思っている私は、最低限の語学と数学の教育内容は国家が決める必要があると思います。

リバタリアニズムは、医療では生存権の問題が関わると問題が生じるであろうとは思いますが、その他の私が社会と関わりが生じる分野で生じている問題解決には、否定できない魅力があります。

とはいっても、実際に税金を集めて分配などせず、自分の責任で、自助努力で、国は全く制限せず・介入せずにうまくいく分野がどれほどあるか、私にはわかりません。最小国家・夜警国家のレベルでも、国防が国の任務になっている以上、戦闘員を集める必要があるわけです。いざ戦争の際に、当人の自由意志だけで集まった戦闘員で足りなかったら、国はどうするのか。個人の自由意志を無視して徴兵する可能性を考えたら、最小国家のレベルでも権力を持たせることは、自由に対する脅威になるのでしょう。であれば、蔵氏のように無政府資本主義、アナルコ・キャピタリズムの信奉者にならなくてはいけませんが、私はそこまではいけません。社会を構成する個人に対する何らかの強制力を発揮しなければ、そこに住む人間の安全、健康を守れない場合があると思います(例えば感染症の強制隔離とか)。生存権を考えると、そうすべき状況もあるでしょう。であれば、社会を構成するどんな人間にも有無を言わせず強制力を発揮する機関が民間であっても必要なわけで、それは今の国と自由の制限という点で何が違うのか。蔵氏や森村氏ほど、真剣に考えたわけではないのですが、どちらか一つ選べと言うなら自由よりも生存の方が守られるべき権利であろうと思う人間にとっては、リバタリアニズムに共感できる部分があるにせよ、全面的に賛成とは言いにくいのです。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!
ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。
→ログインへ

トラックバック(0件)

タイトル (本文) ブログ名/日時

トラックバック用URL help


自分のブログにトラックバック記事作成(会員用) help

タイトル
本 文

コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
ご講評ありがとうございます。蔵研也です。真剣に考察いただき、ほんとに感謝いたします。なお国防の問題は僕も悩んでます。

でも感染症、その他は民間のは十分に分権的な対処でやっていけるように思いますよ。

あと、関係ないですが、ゲーデルの定理は僕もライフワークとして、興味を持ってます。またなにか接点があればいいですね
蔵研也です
2007/04/27 04:27
著者自らコメントを頂きありがとうございます。感謝していただくほどの考察ではなく、恥ずかしい限りです。

今後も、私が賛成できる出来ないに関わらず、リバタリアニズムの刺激的な著書を書いていただき、ご活躍されることを祈念しております(著書を購入できるかどうかは、値段の問題もありお約束できないのですが・・・)。
三余亭
2007/04/27 21:08

コメントする help

ニックネーム
本 文
【リバタリアン宣言 蔵研也著】【自由はどこまで可能か リバタリアニズム入門 森村進著】 三余亭/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる