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zoom RSS 【日本人のしつけは衰退したか 「教育する家族」のゆくえ 広田照幸著 講談社現代新書】

<<   作成日時 : 2009/04/25 06:48   >>

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1999年4月初版の新書。10年前のものですが、古いと思えない(ということは逆にこちらが何も変化していない)本でした。著者は現在東大大学院教育学研究科教授(執筆当時は助教授)。

過ぎ去った「昔」はいつもセピア色の美しさに彩られている。一方、「今」に対しては、われわれはいつも目の前のささいなできごとに目が向き、大局を見失ってしまいがちである。そう考えると、流布しているイメージや予断に振り回されずに、きちんと歴史をたどって、「家庭のしつけの昔と今」を吟味してみる必要があるように思われる。(p9)

現状を憂えるあまり過去をいたずらに美化することはやめて、きちんと歴史的な変化を踏まえた議論をすることが必要である。(p180)


三丁目の夕日が流行ったのとかちびまる子ちゃんやサザエさんの人気なんかは、「昔はよかった」っていう気持ちに支えられているのでしょう。三丁目の夕日はちょっと辟易しますが、ちびまる子ちゃんやサザエさんは私も好きです。ということは、私もどこかで「昔はよかった」と感じているし、油断をすると「昔はよかった」と無条件に前提として考えることがあるかもしれません。
でも、本書によれば「昔はよかった」とはそう簡単に言えないようです。

明治後半から昭和初期にかけての農村・漁村では、家庭でのしつけは「労働のしつけ(p31)」に関することであり、生活習慣に関するしつけは村が行っており、村のしつけはよいことばかりではなく「差別や抑圧が組み込まれて(p33)」「しばしば望ましくない結果(p34)」で、「対象にするのは、あくまでも共同体の正規メンバーに限られて(p36)」いて、基準は「ローカル・ルール(p37)」だから「挨拶ひとつろくにできない(p37)」し「人々を意固地にし、臆病にした(p37)」
わかりやすく言えば金田一探偵の世界ですね。犬神家とか八つ墓村とか。
学校はというと「親にとっては子供の学校での様子などはどうでもいいものであったし、子供にとっては学校で学ぶものは自分のその後の人生に不可欠なものではなかった―学校はその程度の重みしか持っていなかったのである。(p41)」
勉強しても給料のよい職業には就けなかったようです。それなら勉強しないで家の仕事を覚えろということになりますねぇ。

一方、都市では、「戦前期の都市下層では、「家族」そのものが流動的で不安定であったから、そもそも親子関係が成り立たない場合が多かったし、失業や貧困や不良な生活環境などの問題が深刻ななかで、とても「子供のしつけ」どころではなかったといえる。(p43−44)」普通の庶民でも、「暇が無くて躾けてやれない。躾けてやれないから、人並み外れて汚す。汚すから洗濯は増す。増すから暇がない。(p47)」
多くの親は子供のしつけどころではなく、日々の生活に忙しかったようです。失業や貧困は今の問題でもあります。今も子供のしつけどころではない家庭が増えているんだろうと思います。

ところが、明治後半から、都市での富裕で教養のある人たち(新中間層(p53))は、「子供を意図的・組織的な教育の対象とみなし、さらには家庭を教育的な関心に基づいて合理的に編成しようとしていった。(p53)」「新中間層は、学歴が子供の将来に決定的に重要であることをよく自覚し、子供の学力や進学に非常に強い関心を払っていた。(p55)」
その新中間層の教育方針はというと、「新中間層の教育に対する関心は、相互に矛盾・対立する3つの方向を向いていた。(p63)」その3つとは「童心主義」「厳格主義(早期から厳しく質やけ道徳教育を行う)」「学歴主義」。
詳しくは「子供の無垢や純真さを賛美する童心主義が、子供の内発的なエネルギーや発想を大事にし、<子供らしさ>を尊重するものであるとするならば、厳格主義と学歴主義は、子供の無知や野放図さを嫌い、できるだけ早く「子供っぽさ」から抜け出して将来の準備をさせることに主眼をおいていた。また、童心主義と厳格主義とが子供の人格形成を重視するのに対して、学歴主義は知識習得に重点があった。(p58)」

「その後の「わが子の教育方針に関する悩み」の起源ともいうべきものを意味していた。(p63)」と書かれていましたが、私の日々の子育ての悩みがそのままここに書かれています。私の悩みは、明治の終わり頃から綿々と続く悩みでしたか。こういう悩みって100年程度では解決されないものなんですね。のびのびとした発想と社会が判断する教育成果が衝突しなければ悩みは解決されるのでしょうけど。
自分はどう育てられたか、親に言わせれば「放っておいた」。ま、子供は育つもんです。

「戦前の新中間層家族において、熱心にわが子の教育のことを考える親が登場してきて、(中略)親たちが、学校の教育の仕方の細かな内容について関心を持ち、様々な要求を学校に対して突きつけるようになる(p72)」
「親の側の教育方針が内部に対立をはらむものであったとすると、彼らが学校に要求するものもバラバラにならざるをえない。(p73)」
あぁ、一部のことでしょうが今と同じことがそんなに昔からあったとは。最近のことだと思ったことも調べると相当昔から起きていることがあるものです。

といった社会も高度経済成長を経ると変わっていきます。「農民層や職人層などにそれまで見られた、地域・家庭での伝統的なしつけや技能伝達は無意味になっていった。「村のしきたり」を学ぶことや、親の仕事の手伝いを通した<労働のしつけ>などは、子供たちにはたいした意味を持たなくなった。(p110)」

一方学校は「学校は「わが子の進学」や「わが子の個性の伸長」を最優先する親の、家族エゴイズムを下請けする機関のような役割を担わされるようになるとともに、時代遅れの生活指導や集団訓練が、世間から指弾されるようになる。学校の地位低下である。(p121)」

共同体によるしつけもなく学校での指導も批判され、その結果、「家族がしつけをしない時代になっているのでもないし、家族が崩壊してきているのでもない。地域共同体が消失し、学校が不審の目にさらされる中で、家族のみが子供の最終責任者としての地位を強めてきているのである。(p145)」家庭のしつけがどうのこうのと言うよりは、家庭しかしつけをする場が無くなってきた、ということのようです。

今ほど家族の結びつきが強い時代はないし、親が子供の教育に全面的に関わる時代はない―むしろ、問題はそこから生じてきている。2種類の相反する問題が存在している。
一つには(中略)経済的貧困や病期、親の離婚・別居・不和などによる、<家族としての機能不全>からくる問題である。親がちゃんと子供に配慮する条件が整っていないことによって、子供の放任や無関心、しつけの欠如や低学力の問題が生じる。(中略)
もう一つの問題は、(中略)<家族としての機能の過剰>が病理を生んでいる(中略)。育児不安による幼児虐待や過保護・過干渉の問題、家庭内暴力などがそうした例である。(p146−147)

中間くらいで、ということなのでしょう。

いくら親が注意を払ってしつけをしていっても、思いがけない、とんでもないことをしでかしてしまう子供に育ってしまう可能性はゼロにはならない。しつけや教育というものは、しょせんその程度のものでしかない。
「子供が事件を起こすのは家庭のしつけの責任だ」などと決めつける議論は、実際に子供が事件を起こしてしまった家庭の親を社会的に孤立させ、ただでさえわが子のしつけに不安を抱く多くの親たちの不安をあおり立てる。家庭のしつけに様様な問題の原因を求める議論は、すべての親に「完璧な両親」になることを求めるのだが、そんな時代はくるはずがないし、それがもし実現したらずいぶん気持ち悪い社会になるはずである。人間の生き方は多様だし、親はそもそも子供のためだけに生きているわけではないのだ。(p199−200)

最近で言えば秋葉原の無差別殺人も親のところに取材にきましたね。あの年齢になったら、いくら何でも親に責任はないだろうと思います。「しつけや教育は、しょせんその程度」って楽になる言葉ですね。でも傾向として、というところで「よいしつけ、悪いしつけ」があるようですから、でたらめでよいというわけにもいかないところが難しいですが。

育児のプレッシャーって結構あるもんです。テレビのコメンテーターとか政治家の一言とかね。余計なお世話と思うことも多いです。安倍さんのときの、なんかの提言がひどかったなぁ。

それにしても10年が古くなっていない内容でして、この10年の社会で叫ばれている言葉ってきちんと検証されたことに基づいてないのだなと思ったところです。

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今行っている事があなたが受けた教育、躾です、そして未来に結ぶ線である                   学ぶ心あれば・・・未来も・・・
小鉄龍
2010/01/10 09:23

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